きっかけは1982年の法改正から
前述の通り、日本では法律によってドアミラーを装着できなかった時代が長く続いていた。ところが海外では1950年代からすでにドアミラーが主流となっており、日本に輸入する車両も一部フェンダーミラーに改造する必要があった。そのため「非関税障壁」と揶揄され、大きな問題となっていく。そこでまずは1970年代ごろに輸入車からドアミラーが認められるようになり、ついに1982年3月に、国産車もドアミラー装着が認められるようになったのだ。
ちなみに国産車で先陣を切ったのは日産の「パルサーエクサ」で、「ターボ」が追加されたタイミングでターボグレードからドアミラーとなっている。
法改正に一歩間に合わなかった悲運のクルマも
フェンダーミラーはスポーティなクルマにとって、ボディスタイルをスポイルする大きな問題だった。なかでも悲運の運命だったのがいすゞの「ピアッツァ」だ。ジウジアーロデザインのスポーティなボディは、ドアミラーが認められることを予測してデザインが進んでいた。実際に1979年に発表したプロトタイプ「アッソ・デ・フィオーリ」はドアミラーでデザインされている。ところが1981年のデビューに法改正が間に合わず、初期型モデルは不細工なフェンダーミラーが装着され発売された。その後1983年に「パルサーエクサ」に続いてすぐにドアミラーに変更されているため、フェンダーミラーは初期型のみのレアな仕様となっている。
フェンダーミラーは日本の象徴
さて、そんな理由で世界では何十年も前に廃れていたフェンダーミラーが、日本では1980年代初頭まで「ガラパゴス装備」として残っていたことで、世界には「フェンダーミラー=日本車の象徴」と考える人も多いようだ。アメリカで行われる日本車のイベントでは、わざわざ北米仕様で標準装備のドアミラーをフェンダーミラーに交換して「日本国内仕様(JDM)」を再現した車両も多くエントリーしている。今やフェンダーミラーは日本車の象徴のように捉えられているようだ。
また日本国内でもタクシーを中心に、その後もフェンダーミラーを継続して使用し続けている車種も多い。ところがフェンダーミラーを装着していたセダン型の「クラウンコンフォート」や「セドリック」といった車種が軒並み生産終了となってしまったため、現在ではジャパンタクシーのみの珍しい装備となってしまったのである。