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圧勝の陰に「名エンジン」あり! モータースポーツでえげつないほど「勝ちまくった」国産名機4選+α

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TEXT: 山崎真一(YAMAZAKI Shinichi)  PHOTO: Auto Messe Web編集部

当時最強だったS20の49連勝を打ち破ったマツダのロータリーエンジン

【マツダ12Aロータリー:1.2L直列2ローター】

 平成のツーリングカーレースを代表するエンジンがRB26DETTだとしたら、レース黎明期の1960~1970年代における名機は初代スカイラインGT-R(C10型)に搭載され、富士ツーリストトロフィーで49連勝を飾ったS20といいたいところだが、ここはその最強と言われたエンジンを打ち負かした12Aロータリーを取り上げたい。12Aの12は排気量(573㏄×2=1146㏄)を、Aはその排気量の1番目に開発されたことを意味している。サバンナGTの走り

 エンジン本体は市販車に搭載されているものをベースにフルチューンが施され、1971年にマツダ・カペラ(RX-2型)で実戦デビュー。ただし、もっともローターの回転方向と一致する外周側に吸排気ポートを設けることで抵抗を低減し、高回転でのパワーが出しやすいペリフェラルポートがレギュレーションで禁止に。それでもマツダワークスはポート加工を試行錯誤し、パワーを市販の120㎰から240㎰まで引き上げている。12Aロータリー

 1972年にはハコスカよりも100kg強も軽量なサバンナGT(RX-3型)に搭載。同年5月にハコスカGT-Rの50連勝を阻止し、日産をワークス活動撤退へと追い込んだ。

 ライバルのスカイラインGT-Rが不在となった1973年にはレギュレーション変更により、ペリフェラルポートが解禁となり250psまでパワーアップ。1976年にはどのメーカーもなしえなかった通算100勝を達成。国内ツーリングカーでは無敵で1978年まで活躍した。初代RX-7(SA22C型)

 1979年からはアメリカのIMSA(国際モータースポーツ協会)のGT選手権GT-U(2.5L以下)クラスにRX-7(SA22C型)で参戦を開始。初参戦となるデイトナ24時間レースでクラス優勝したことで、プライベーターがRX-7をこぞってチョイスし、GT-Uクラスの一大勢力となった。

 また、1980年〜1985年まで5年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得するとともに、ポルシェが持っていた通算記録を塗り替える67勝を記録。日米で圧巻のパフォーマンスを見せつけた。ツーリングカー以外にもGC(グラチャン)、JSS(ジャパンスーパースポーツセダン)、WRC(世界ラリー選手権)など幅広いカテゴリーで使用されている。

国内外のさまざまなカテゴリーに参戦! WRCでは王者も獲得

【トヨタ3S-GE:2L直4DOHC/3S-GTE:2L直4DOHCターボ】

 12A型ロータリー同様に多彩なカテゴリーで使用されたのがトヨタの3S-GEだ。直列4気筒の2S型エンジンにヤマハが開発したツインカムヘッドを組み合わせた、18R-Gに代わる新世代の2LクラスのDOHCエンジン(当初はグロス160ps、最高はNAがネット210ps、ターボがネット255ps)だ。ただし、そのデビューが2代目カムリ/初代ビスタであったように、市販車はスポーツカーだけでなく幅広い車種に搭載されている。ちなみに3SとはS型エンジンの3番目を意味し、SはSmallの頭文字である。トヨタ222D

 モータースポーツでは、初代MR2をベースにしたWRCのグループB仕様(222D)のエンジンとして開発がスタート。頑丈な鋳鉄エンジンは当初から2Lターボで500psオーバーを目標としていたが、カテゴリー自体が消滅して日の目を見ることはなかった。その後4代目セリカGT-FOURに搭載され、1988年、WRCで世界の舞台に本格参戦。グループA規定で開発された3S-GTEは吸気制限により300ps程度にとどまったが、トルクは50kg-mに迫る強力な仕様。1990年にはドライバーズチャンピオン、1993、1994年にはドライバー/コンストラクター(メーカー)のWタイトル獲得した。1999年にもコンストラクタータイトルを取るなど1990年代、WRCにおける主役の1台であった。3S-GTE

 また、グループB用の3S-GTEエンジンはプロトタイプカー(グループC)のユニットととして転用。1986年、1987年の2年間のみだったが、最終的には670psまでパフォーマンスアップされた。さらにアメリカのGTP(プロトタイプクラス)へも持ち込まれ、1992、1993年にトヨタ・イーグルMKⅢがシリーズチャンピオンに輝く。当時のエンジンはブースト圧4kg/cm2が掛けられ、760ps以上に到達した。

 このGTP用エンジンは日本へも持ち込まれ、全日本GT選手権(現スーパーGT)のスープラへ移植。市販の直6の3Lターボではなくあえて直4の2Lターボとしたのは、それまでの実績もさることながら、全日本GT選手権規定で有利(排気量が小さいと最低重量を低減できる)だったためだ。ただし、シリーズ途中からIMSA仕様ではなく、市販エンジンをベースに変更。1997年、2001年、2005年にスープラでシリーズチャンピオンを獲得した。全日本GT選手権を走る80スープラ

 モータースポーツでの活躍はターボエンジンが主流であった3S-GEだが、1990年代前半に世界中で開催された4ドアセダンによるツーリングカーレース、そして、フォーミュラ3には自然吸気エンジンが投入されている。とくにエンジンの搭載位置を市販と逆にするリバースヘッドの採用、低重心化、ライフは1レースといわれる極限のチューンが施され、NAながら300㎰に迫るパワーを引き出し、日本のJTCC(全日本ツーリングカー選手権)では1994年にコロナエクシブが、1998年にはチェイサーがシリーズ制覇している。最終的には2017年までの30年以上にわたり使用され、トヨタのモータースポーツを支えた。

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