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圧勝の陰に「名エンジン」あり! モータースポーツでえげつないほど「勝ちまくった」国産名機4選+α

グループA

エンジンだけでは勝てないが最強マシンには速さの一翼を担う名機あり

 かつては国内のトップフォーミュラ(現在はスーパーフォーミュラ)、プロトタイプカー(一部例外あり)などを除けば、フォーミュラマシンもツーリングカーもエンジンは市販車ベースにチューニングしたものを搭載。現在のスーパーGTやスーパー耐久のような性能調整(サクセスウエイト[ウェイトハンデ])もなく、純粋に速さを競い合っていた。もちろん、モータースポーツで勝利するために必要なのは総合力。

 いかにエンジン性能が優れていたとしても、トップでチェッカーを受けることが難しいことは歴史的に証明されているが、競技の世界において速さの一翼を担うこともまた確かだ。今回はレースで数多くの勝利を刻んだマシンに搭載されていた、珠玉の市販ユニットを選出してみた。

スカイラインGT-Rの29戦29勝の立役者となった国産最高峰エンジン

【日産RB26DETT:2.6L直6DOHCツインターボ】

 まず、筆頭に挙がるのはクルマ好きなら誰もが知っているであろうR32型スカイラインGT-Rで初搭載されたRB26DETT。平成の国内ツーリングカーレースで圧倒的な人気を誇ったJTC(全日本ツーリングカー選手権・通称グループAレース)で勝つために、開発時からレース規定を最大限活用したクルマ作りを行ったことで有名だ。

 グループAに参戦するためのホモロゲーション(連続する12カ月で5000台生産する4座以上の車両)を取得した基準モデルの直列6気筒DOHCツインターボエンジンは、パフォーマンス、最適なタイヤサイズと車両重量を考慮した結果、2568㏄の中途半端といえる排気量が与えられた。

 素材は重い鋳鉄性であったが、600㎰に耐えうる強度と耐久性を兼ね備え、6連スロットル、ナトリウム封入エキゾーストバルブ、クーリングチャンネル付きピストンなどのパフォーマンスを引き上げるための最新技術を惜しげもなく投入。さらにその圧倒的なパワーを受け止める革新的な4WDシステム「アテーサE-TS」を組み合わせるなど、勝つための基本性能を盛り込んだ。

 その上でレギュレーションのスポーツエボリューション規定(ホモロゲーションの生産台数とは別に500台追加生産するならば特殊モデルを認める)に合わせた、限定車のNISMOを設定。グループAミートモデルといえるNISMOは大型メタルタービン、冷却効率を高めるエアロパーツなどを標準化することで、安定して600㎰を発揮することができた。

 1990年3月のデビュー戦からレースが終了するまでの4年間、最高峰のディビジョン1クラスで負け知らずの29戦29勝を挙げたのはご存じの通りだが、その強さはエンジンを請け負った日産工機のREINIK部門による、緻密なエンジン開発と当時としては珍しいデータロガーによる解析&管理にあった。パワーを引き出す(最大時は670㎰、JTCでフォードシエラが撤退した1991年以降は耐久性を重視して550㎰にダウン)だけでなく、いかに壊さないようするかまでを追求したマネージメント力が、負け知らずの伝説を作った大きな要因だ。

当時最強だったS20の49連勝を打ち破ったマツダのロータリーエンジン

【マツダ12Aロータリー:1.2L直列2ローター】

 平成のツーリングカーレースを代表するエンジンがRB26DETTだとしたら、レース黎明期の1960~1970年代における名機は初代スカイラインGT-R(C10型)に搭載され、富士ツーリストトロフィーで49連勝を飾ったS20といいたいところだが、ここはその最強と言われたエンジンを打ち負かした12Aロータリーを取り上げたい。12Aの12は排気量(573㏄×2=1146㏄)を、Aはその排気量の1番目に開発されたことを意味している。

 エンジン本体は市販車に搭載されているものをベースにフルチューンが施され、1971年にマツダ・カペラ(RX-2型)で実戦デビュー。ただし、もっともローターの回転方向と一致する外周側に吸排気ポートを設けることで抵抗を低減し、高回転でのパワーが出しやすいペリフェラルポートがレギュレーションで禁止に。それでもマツダワークスはポート加工を試行錯誤し、パワーを市販の120㎰から240㎰まで引き上げている。

 1972年にはハコスカよりも100kg強も軽量なサバンナGT(RX-3型)に搭載。同年5月にハコスカGT-Rの50連勝を阻止し、日産をワークス活動撤退へと追い込んだ。

 ライバルのスカイラインGT-Rが不在となった1973年にはレギュレーション変更により、ペリフェラルポートが解禁となり250psまでパワーアップ。1976年にはどのメーカーもなしえなかった通算100勝を達成。国内ツーリングカーでは無敵で1978年まで活躍した。

 1979年からはアメリカのIMSA(国際モータースポーツ協会)のGT選手権GT-U(2.5L以下)クラスにRX-7(SA22C型)で参戦を開始。初参戦となるデイトナ24時間レースでクラス優勝したことで、プライベーターがRX-7をこぞってチョイスし、GT-Uクラスの一大勢力となった。

 また、1980年〜1985年まで5年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得するとともに、ポルシェが持っていた通算記録を塗り替える67勝を記録。日米で圧巻のパフォーマンスを見せつけた。ツーリングカー以外にもGC(グラチャン)、JSS(ジャパンスーパースポーツセダン)、WRC(世界ラリー選手権)など幅広いカテゴリーで使用されている。

国内外のさまざまなカテゴリーに参戦! WRCでは王者も獲得

【トヨタ3S-GE:2L直4DOHC/3S-GTE:2L直4DOHCターボ】

 12A型ロータリー同様に多彩なカテゴリーで使用されたのがトヨタの3S-GEだ。直列4気筒の2S型エンジンにヤマハが開発したツインカムヘッドを組み合わせた、18R-Gに代わる新世代の2LクラスのDOHCエンジン(当初はグロス160ps、最高はNAがネット210ps、ターボがネット255ps)だ。ただし、そのデビューが2代目カムリ/初代ビスタであったように、市販車はスポーツカーだけでなく幅広い車種に搭載されている。ちなみに3SとはS型エンジンの3番目を意味し、SはSmallの頭文字である。

 モータースポーツでは、初代MR2をベースにしたWRCのグループB仕様(222D)のエンジンとして開発がスタート。頑丈な鋳鉄エンジンは当初から2Lターボで500psオーバーを目標としていたが、カテゴリー自体が消滅して日の目を見ることはなかった。その後4代目セリカGT-FOURに搭載され、1988年、WRCで世界の舞台に本格参戦。グループA規定で開発された3S-GTEは吸気制限により300ps程度にとどまったが、トルクは50kg-mに迫る強力な仕様。1990年にはドライバーズチャンピオン、1993、1994年にはドライバー/コンストラクター(メーカー)のWタイトル獲得した。1999年にもコンストラクタータイトルを取るなど1990年代、WRCにおける主役の1台であった。

 また、グループB用の3S-GTEエンジンはプロトタイプカー(グループC)のユニットととして転用。1986年、1987年の2年間のみだったが、最終的には670psまでパフォーマンスアップされた。さらにアメリカのGTP(プロトタイプクラス)へも持ち込まれ、1992、1993年にトヨタ・イーグルMKⅢがシリーズチャンピオンに輝く。当時のエンジンはブースト圧4kg/cm2が掛けられ、760ps以上に到達した。

 このGTP用エンジンは日本へも持ち込まれ、全日本GT選手権(現スーパーGT)のスープラへ移植。市販の直6の3Lターボではなくあえて直4の2Lターボとしたのは、それまでの実績もさることながら、全日本GT選手権規定で有利(排気量が小さいと最低重量を低減できる)だったためだ。ただし、シリーズ途中からIMSA仕様ではなく、市販エンジンをベースに変更。1997年、2001年、2005年にスープラでシリーズチャンピオンを獲得した。

 モータースポーツでの活躍はターボエンジンが主流であった3S-GEだが、1990年代前半に世界中で開催された4ドアセダンによるツーリングカーレース、そして、フォーミュラ3には自然吸気エンジンが投入されている。とくにエンジンの搭載位置を市販と逆にするリバースヘッドの採用、低重心化、ライフは1レースといわれる極限のチューンが施され、NAながら300㎰に迫るパワーを引き出し、日本のJTCC(全日本ツーリングカー選手権)では1994年にコロナエクシブが、1998年にはチェイサーがシリーズ制覇している。最終的には2017年までの30年以上にわたり使用され、トヨタのモータースポーツを支えた。

長きにわたり国内ラリーなどを席巻した軽自動車最強エンジン

【スズキK6A:660cc直3DOHCターボ】

 セリカのようにWRCではなく、国内(全日本)ラリーで勝ちまくったのがアルトワークス。1987年当時、国産軽自動車唯一のツインカムターボ+フルタイム4WDのパッケージは、デビュー翌年の1988年から当時国内最小排気量クラスであったAクラス(1000㏄以下)に参戦。レギュレーションが変わる2001年までの14年間で10回のシリーズ優勝を果たし、まさに王者と呼ぶにふさわしかった。

 エンジンは14年間でF5A(550㏄)、F6A(660㏄)、K6A(660㏄)の3種類の直列3気筒DOHCターボを搭載したが、もっともパフォーマンスを引き出したのは1994年の3代目ワークスから搭載されたK6A型。エンジンブロックが鋳鉄からアルミとなり、ECUが16ビット化。1998年に登場した4代目ではVVT(可変バルブタイミング機構)が組み合わされ、きめ細やかな制御とワイドレンジが可能になったのがトピックだ。

 1997年までは改造範囲が狭かったが、1998年からエンジンの大幅な改造が許されるようになった結果、ノーマルの64psから150ps強までチューンナップされた。あまりの速さにダイハツがレギュレーションに合致させたスペシャルマシン「ストーリアX4」を投入せざるをえなくなるほど強かった。

 速さの理由は実質ワークスの立場にあったスズキスポーツ(現モンスタースポーツ)がラリー車だけでなく、市販車の開発にも関与していたこと。国内ラリーの規定で改造が制限されている部分に対して、専用ターボ、大型インタークーラー&ラジエータ、クロスミッション、LSD(最終型には鍛造ピストン、ハイカム、大容量インジェクター、専用ECUまで)を標準装着したエボリューションモデル「ワークスR」を、世代が変わるごとに投入。勝つために妥協のないベース車が用意できることが最大の強みであった。なおアルト・ワークスは国内ラリーだけでなく、ダートトライアルでも活躍している。

国産車を脅かした輸入車搭載の名機を忘れてはならない

【ランチア831E5:2L直4DOHCターボ】

 1990年前半から2000年代後半までWRCは日本車が躍動した。国産車初の世界チャンピオンに輝いたトヨタ・セリカ(3S-GTE)、その後、コンパクトなボディに強力なエンジンを搭載したスバル・インプレッサWRX(EJ20)と三菱ランサーエボリューション(4G63)が主役に躍り出て、WRCを盛り上げていったのはクルマ好きならばご存じの通りだ。

 ただ、WRCでいまだ破られることがない前人未到のメーカータイトル6連覇(1987年~1992年)を成し遂げ、今なおファンの記憶に残る最強マシンが、1987年に登場したランチア・デルタHF。コンパクトな車体に強力な直列4気筒の2L DOHCターボエンジンとフルタイム4WDを搭載した先駆者である。

 ただし、コンパクトなボディに大排気量エンジンを搭載する弱点(十分な冷却性、サスストロークの確保など)を補うために、翌年にはボンネットにエアアウトレット、大型のインタークーラーを追加。ボディ幅の拡大など矢継ぎ早に改良が施されている。

 831E5型と呼ばれるエンジンは、同じフィアットグループでレース車両や高性能モデルの開発を担当していたアバルトがチューニングを担当。当初は直4のDOHC8バルブにT3型ギャレットタービンを装着して260ps(市販は165ps)を発揮した。そして、1989年にはトヨタの追撃を振り切るために16バルブ化したシリンダーヘッドを投入し、295ps(市販車200ps)にまでパワーアップ。1992年には最終モデルとしてワイドボディ化、16インチタイヤが装着されたエボルツィオーネ(市販最終型のエボルツィオーネⅡはラリーに投入されていない)のパワーは370psに到達したと言われているが、車体設計の新しい日本車勢には太刀打ちすることが叶わず、1993年を最後にWRCからランチアの名前は消えることとなった。

【BMW S14B23:2.3L直4DOHC】

 勝ちに勝ちまくった輸入車としてもう1台忘れることができないのが、JTC(グループA)に参戦していた初代BMW M3(E30型)。R32型スカイラインGT-Rと同じくツーリングカーレースを席巻するために開発されたエボリューションモデルで、エンジンはレース用に開発されたBMW M1のM88型直列6気筒から2気筒をカットした直列4気筒のS14B23型だ。

 2.3Lの排気量から約300ps(市販は195㎰)を絞り出した。GT-Rのひとつ下となるディビジョン2クラスに1987年に参戦し、デビュー戦で格上のマシンを蹴散らし、翌年からクラスの常勝マシンとして活躍。1990年からは2.5L化され、出力は330psまで向上した。1993年のシリーズ終了まで、ディビジョン2クラスを支え、GT-Rを上まわる42連勝を飾っている。

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