不良たちをも改心させたバルブで輝いたクルマたち
バブルと呼ばれた日本経済が急上昇中だった1980年代といえば、40年以上も昔の話であり、当時バブリーなサラリーマンとして働いていた人たちは還暦を迎えている。近代の日本においてもっとも華やかかつ、狂乱の時代として語り継がれる「バブル」が残した爪痕は、自動車産業にとっては悪いことばかりではなかったのも事実である。
暴走族までもがシャコタンからハイソカーに乗り替え!?
1980年代の幕開けは、当時の若者にとってひとつの転換期でもあった。暴走族や不良少年だった若者たちは空前のサーフィンブームに乗り、パンチパーマをコテで伸ばしてサラサラの直毛へと切り替えていく。それにともない乗っているクルマもシャコタンからサーフィン仕様のファミリーカー、親父のクルマよりもグレードの高いハイソ(ハイソサエティの略)なスポーツカーを乗り回していた。
ファッションもジャージや特攻服を脱ぎ捨てて、ファーラのパンツや裏生地を使ったボタンダウン、タウカン(タウン&カントリー)、ゴッテス、アイパのTシャツへと買い替え、足もとは女性用の網サンダルからデッキシューズへと変化していった。もちろん、クルマのなかで聞いていた音楽にも大きな変化があり、ディスコミュージックとともに角松敏生、佐野元春、YMO、サザンオールスターズなどの名曲を聞くため、夜な夜なラジカセで編集したカセットテープをカーコンポに入れてデートを楽しんだ。
もちろん、カセットテープの曲名は当時200円で買えた雑誌「FMステーション」の付録であった、鈴木英人のイラスト付きカセットレーベルだったことはいわずもがな……だ。
エモい’80sカー01:サーファー御用達の赤い「ファミリアXG」
1980年代を代表する一台を挙げるなら、絶対に欠かせないのがFFモデルへと進化を遂げた5世代目マツダ・ファミリアだろう。ウエッジシェイプの効いた直線的なデザインを持つファミリーカーだが、とくに赤いボディカラーが爆発的な人気となり、リヤシートを曲線で構成する「ラウンジソファーソート」を採用した高級グレードのXGは憧れの存在であった。
屋根にルーフキャリアを取り付け、ダッシュボードには人工芝とヤシの木を置き、ココナッツ味のジュース「コナウィンズ」のミニデブ缶を置くのがステイタス。赤いファミリアに乗って海に行かない「陸(おか)サーファー」も社会現象になった。
エモい’80sカー02:マウンティング上位に立てたハイソカーの代表格「初代ソアラ」
1981年、当時の若者たちに激震が走った。その震源地はトヨタが発売したラグジュアリースポーツの「ソアラ」である。サーフィンブームと並んでハイソカーが流行していた1980年代だが、ソアラの登場により女性人気車の勢力図も大きく塗り替えられたのである。当時の女性たちは彼氏のクルマによってマウントの取り合いが日常茶飯事であり、「彼氏、クルマは何に乗っているの?」が挨拶代わりの台詞に。その答えとして発した「ソアラ」のひと言で、ヒエラルキーの頂点へと駆け上がることができたのである。
また、このソアラは2トーンのパール塗装という異例の高級塗料が使用され、事故や補修時の板金塗装に莫大な金額が請求されたという都市伝説もある。また、のちに3世代以降のソアラは輸出仕様となり、現在のレクサスの礎になったことは周知の事実だ。
エモい’80sカー03:人気はあったが迷路していた「スカイライン」
1980年代に生まれたクルマは、どれもが直線的でウエッジシェイプの効いたシャープなデザインが主流だった。それまでハコスカ、ケンメリ、ジャパンと続いてきたスカイラインもR30型へと進化。新たな時代への挑戦として伝統のサーフラインを捨て、丸テールだけを残した直線的なスタイルへと進化を遂げた。
当時はマツダ=ロータリー(12A、13B)、トヨタ=4気筒DOHC4(2T-G、18R-G)、日産=直列6気筒(L20、L28)という棲み分けが一般的だったが、6代目モデルには4気筒DOHC+ターボのRS-Xターボが登場し、世間をザワつかせた。R30型スカイラインは後期型のモデルチェンジではグリルレスの「鉄仮面」と呼ばれる姿へと進化を遂げたが、実際には後のR31型(センブンス・スカイライン)までデザインやエンジンに迷走感が漂っていたのも事実である。