エモい’80sカー04:世界で唯一無二の存在「サバンナRX-7」
1978年から1985年まで製造されたサバンナRX-7(SA22型)、そして1985年にバトンを受け継いだFC3S型RX-7。ともに世界で唯一のロータリーエンジンを積むスポーツカーだが、当時はクルマ好きのなかでも玄人感があり、不良から抜けきれなかった硬派な男が乗っていたイメージが強い。
一部では「プアマンズポルシェ」と呼ばれ、ポルシェ924や944をイメージさせるボディデザインは多くのスポーツカーファンを魅了した。RX-7はロータリーエンジンが放つ独特のサウンドと燃費の悪さがひとつの魅力となり、「それでも俺はロータリーが好きだ!」というマニアックな気持ちに拍車を掛けた。
1980年代を振り返ってみると、マツダという自動車メーカーは「軟派なファミリア」と「硬派なRX-7」という両極端のクルマを販売していたことになる。
エモい’80sカー05:CMソングに洗脳された初代ホンダ・シティ
最後はホンダのシティ。懐かしいと感じた人は「ホンダ、ホンダ、ホンダ」と連呼したイギリスのロックバンド「マッドネス」が歌うCMソングがリフレインしたはずだ。1981年に登場したキュートなモデルはコンパクトなボディスタイルが独創的で、「ブルドッグ(シテイ・ターボⅡ)」や「トールボーイ」の愛称を持っていた。
ハッチバックモデルの他にもカブリオレもラインアップされ、ショッキングピンクや蛍光イエローのボディカラーは強烈なインパクトを与えてくれた。また、驚くことに狭いトランクルームながら折り畳み式の「モトコンポ」という原付バイクを収納することができ、モーターサイクルを始祖に持つホンダならではのアイディアと創意工夫、遊び心が全面に押し出されていたのである。
80年代カルチャーには現在につながるヒントが隠されていた!!
1980年代は激動の過渡期であり、オイルショックの影響を受けたクルマたちはキャブレターからインジェクションへと移行していった。また、駆動方式はFRが一般的だった1970年代だが、1980年代からは多くの自動車メーカーがFFへと力を入れ始め、FF初期時代のモデルたちはトルクステアや荒削りなドライブフィールがあったことを思い出す。また、ファッションも不良的なものからサーファーを経て、’80年代の後半にはDCブランドとしてビギ、ジュンロペ、メルローズ、ギャルソン、パーソンズなどが大流行。女性たちはワンレン・ボディコンと呼ばれる黒歴史へと足を踏み入れるのである。
当時を振り返ってみると、狂乱の1980年代には現在へとつながる大きなヒントが隠され、そのヒントを見つけることで近代日本の自動車産業は躍進したことも事実である。時代は巡り日産はスカイラインGT-Rを復活させる取り組みを始め、フェアレディZはS30Zのデザインをオマージュした新型モデルを発表(型式は従来モデルと同じZ34のまま)。トヨタはソアラから始まったラグジュアリーなブランドをレクサスとして柱に据えている。それも1980年代の狂乱があってこその「今」であり、刺激的な時代があってこその進歩なのだ。エネルギーに満ち溢れた時代をリアルに経験したオジサンとしては、ふたたび日本が好景気に沸き、1980年代のような時代が来ることを願わずにはいられない。