ル・マン勝利のため開発された美しき「1100 OHC」
外貨獲得の目的も無論あったものの、シュコダはル・マン24時間の性能指数賞を狙うため、1950年代半ばより新たなバルケッタ・スポーツを開発。それが「1100 OHC」だ。ベースは「440スパルタク」という市販車の直4エンジンで、シリンダーとクランクケースにアルミを採用。ヘッド加工によって燃焼室形状を最適化しつつツインカムに、さらにダイナモ2連装によってボッシュ製スパークプラグによるツインスパーク化を実現していた。燃料供給も、当初は旧チェコスロバキアのジコフ製キャブレターをツイン装備したが、後にウェーバー製にあらためられ、スパルタクの40ps/4200rpmからじつに92ps/7700rpmに高められていた。
このパワーユニットを、角断面の鋼管チューブラーフレームにフロント・ミド搭載したFRレイアウトのバルケッタは、グラスファイバー・ボディによって583kgの軽さを誇った。政治的な理由でル・マン参戦は叶わなかったが、1100 OHCの開発は継続され、その後アルミニウムによるクーペ・ボディ版が2台のみ造られた。
悲運の「1100 OHCクーペ」がフルレストアで復活
今回の125周年記念事業としてレストアされたのはクローズド・ボディのクーペ。バルケッタよりさらに軽い555kgで、よりエッジの立ったフロントフェンダーが特徴的だ。「1100 OHCクーペ」はその後、プライベーターに譲渡されクラッシュし、国際規模のレースで日の目を見ることはなかった。だが、シュコダ自体のワークス活動は欧州ラリー選手権やWRC、1970年代の2Lスポーツカーなどに受け継がれた。
1100 OHCにボラーニのホイールやウェーバーが用いられた通り、シュコダ自体は共産圏にあって西側のクオリティの高いエクイップメントに興味を示し続け、ルノーなどから工作機械あるいはパーツの供給を通じて、西側との対話交流も続いていたという。シュコダがVWグループに入ったのは1992年、東西ベルリンの壁が崩壊して間もないころだ。
いかにも空力に優れそうな、それでいて精緻なアルミ叩き出しボディをまとった1100 OHCクーペを眺めていると、その美しさが正当に評価されるまで、多大な時間を要したことがわかるだろう。