バブル期の2代目はスタイリッシュに進化
さて時間を急いで(何のために?)、ここで話は2代目に移る。2代目の登場は1988年のこと。車名のことに少しだけ触れておくと、じつは「カルタス」は初代から日本市場以外では「スイフト」の名が使われていたほか、北米では、GMの小型車を扱う「ジオ」の一員として「メトロ」などとも呼ばれていた。
2代目カルタスは初代から較べると、かなり洗練されたスタイリングに一新された印象だった。手元にあるのは1992年7月のカタログで、何が書かれているかとあらためて目を通してみた。意外にも何も触れられていなかったが、見るからにフラッシュサーフェスの行き届いたボディに、初代の朴訥な面影はまったく残っていなかった。
また、さまざまなバリエーション展開も2代目カルタスの特徴だった。まるでイタリア車を思わすスマートな「6ライト」デザインの5ドアの設定や、あのフロンテ800以来の(!)3ボックスセダン「エスティームも用意された。しかも、5ドアとエスティームの後席ドアはそれぞれ専用設計だったのだ。
オープンカー仕様や限定コラボモデルも展開
また、1991年にはコンバーチブルも登場。このモデルは北米で先に導入されていたモデルだったが、だからといってカタログのコピーに「ひと足早くウエストコーストで愛されて、いま日本へ」などとはしゃいで書いているとは。このコンバーチブルには世界初を謳うフル電子制御式のCVTが採用されていた。
それともうひとつ、1991年11月には「カルタス・エレッセ」とネーミングされたコラボモデルを登場させていた。ラジアンレッドマイカ、サターンブラックメタリック、そしてダーククラシックジェイドパールの3色のボディカラーを設定。さらに、ellesseのタグ付きシート、専用フロアマット、専用デカール(リヤはガーニッシュに)などで仕上げられ、1991年11月25日~1992年3月31日の期間中に成約したユーザーにはロゴ入りのスポーツバッグがプレゼントされたらしい。
なおカルタスはフェード・アウトする形でカルタス・クレセントに引き継がれた。こちらでイメージキャラクターに登場したのは、当時ロン毛の長瀬智也だった。