レースに参戦することができなかった不運のフェラーリ
1970年台後半からブームが巻き起こったスーパーカーですが、1980年代に入ってからは少しずつ分化が進んできました。そしてミッドシップにV12エンジンを搭載し、ガルウイングドアの2ドアクーペ。こうした不文律を打ち破るモデルも増えてきました。
またモータースポーツに参加することを前提とした、いわゆるホモロゲーションモデルも見受けられるようになりました。生産台数が限られ、今やオークションでは驚くほどの高値で売買されるモデルも少なくないようです。今回はそんな1台、フェラーリの288GTOを振り返ります。
モータースポーツの現場で戦ってきたフェラーリのGT
フェラーリと言えば、かつてはアルファ・ロメオのワークスチームとしてGPレースを戦っていました。独立して以降は自らF1GPに挑戦を続けてきたキャリアから、レースにおいてはどうしてもF1GPがイメージされやすいのですが、もちろんスポーツカーレースでもフェラーリの活躍は目覚ましいものがありました。
1953年に制定されて1961年まで続いた世界スポーツカー選手権でフェラーリは、9年間で7回のマニュファクチャラータイトルを獲得しています。1962年には世界スポーツカー選手権タイトルが、国際マニュファクチャラー選手権に衣替えし、それまでのスポーツプロトタイプカーからGTカーへと移行。排気量別に3つのクラスそれぞれに、タイトルが掛けられることになりました。
GTカーとしてホモロゲーションを受けるには本来、連続する12カ月間に100台を生産する必要があって、ここまで勝ちすぎたフェラーリを、ある意味締め出すためのレギュレーション変更でした。これに合わせてフェラーリでは、前年までの主戦マシンだった250SWB(ショートホイールベース)をベースにシャシーをチューニングし、300psを絞り出す250TR用のV12エンジンを搭載したエボリューションモデル「250GTO」を製作。GTカーとしてホモロゲーションを得ていました。
ちなみにGTOのネーミングはGran Turismo Omologato(伊語で“GTとして公認された”の意)の頭文字を繋げたもの。日本国内では三菱がかつてギャランのトップモデルに使用していたGTOと同じものです。いずれにしても、フェラーリGTの250シリーズのトップモデルが250GTOで、パフォーマンスはレース結果が証明しています。
この栄光のネーミング、GTOを20年ぶりに復活させたモデルが1984年に登場したフェラーリ288GTOでした。フェラーリ的にはフェラーリGTOとシンプルなネーミングなのですが、250GTO(こちらは250が付くのが正式名称)と紛らわしいからとの理由で、288GTOと呼ぶのが通例となっています。
288GTOは250GTOの後継モデルということですが、実際には20年の空白区間があり、その間には何台ものGTマシンが登場してきました。そして250GTOの直接の後継モデルとされているのが250LM。GTOの後継と言いながら、じつはGTのホモロゲーションを取得できず、実際にはプロトタイプとして参戦していました。
エンジンはV12をミッドシップに搭載していて、以後はフェラーリのGTカーとしてもミッドシップが一般的になっていきました。当然のように288GTOもミッドエンジンを採用。ベースとなったのは308GTBでしたが、メカニズム的にはまったく別ものでした。