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その価値じつに4億円! 戦うために生まれ戦わずに終わった悲運のフェラーリ「288GTO」

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了/Ferrari/Auto Messe Web編集部

308で横置きされていたV8を選択して縦置きにマウント

 1984年のジュネーブ・ショーで発表されたフェラーリ288GTOは、308GTBがベースとされていて、外観的には似たようなイメージが漂っています。エンジンの搭載方法ひとつとっても、308GTBがV8エンジンを横置きにマウントしているのに対して、288GTOはV8を縦置きにマウントされているのです。フェラーリ288GTO

 エンジンの排気量も308GTB用は2927cc(81.0mmφ×71.0mm)ですが、288GTOは2855cc(80.0mmφ×71mm)と排気量は違います。これはターボを装着することが前提の288GTOでは、ターボ係数を掛けて4L以下(2855cc×1.4=3997cc)とするための策で、1989年に登場したスカイラインのGT-Rがターボ係数を掛けて4.5L以下(2568cc×1.7=4366cc。※ターボ係数は1987年までは1.4で1988年からは1.7に変更)とするための作戦と同じでした。

 また308GTBは当初、気筒当り2バルブのツインカム(4カム)エンジンで、1982年には気筒当り4バルブのクアトロヴァルヴォーレに進化していました。288GTOもこのクアトロヴァルヴォーレをベースにボアを1mm縮小し、IHI製のツインターボを装着することで、308GTBクワトロヴァルヴォーレの240psから400psへと1.7倍近くもパワーアップを果たしていました。フェラーリ308GTB

 シャシーは鋼管スペースフレームが使用され、前後にダブルウィッシュボーン式サスペンションが組み込まれていました。ディメンジョンも308GTBとは異なり、ホイールベースは2340mm→2450mmと110mm延長され、トレッドも1460/1460mm→1560/1560mmと100mm拡幅されています。フェラーリ288GTO

 外観ではフロントの補助ランプが4灯式となったのが大きな違いとなっていました。軽量化が追求されたのも特徴で、アルミニウムやFRPに加えてカーボンファイバー(CFRP)やケブラーなどF1でも使用している素材への置換が進み、車両重量は308GTBの1300kgから140kgも減量した、1160kgまでダイエットされていました。フェラーリ288GTO

 グループBのホモロゲーションは獲得したものの、288GTOがワークス活動でデビューすることはありませんでした。当初は世界ラリー選手権(WRC)への参戦も考えられていたようですが、当時はミッドシップの4WDが全盛のころでした。しかもアクシデントが立て続けに起きてしまい、少なくとWRCにおいてはグループBの存在自体が消えてしまったため参戦することも叶わず、悲運のクルマだったということもできるでしょう。

 ただし、フェラーリのスペシャリストとして知られるミケロットが、ターボをサイズアップするなどさらなるチューニングを施して650psまでパワーアップした、エボリューションモデルというべき288GTOエヴォルツィオーネを6台製作。テストを繰り返して得たデータやノウハウは、後継となるF40の開発に大いに役に立ったのは間違いないようで、そのことだけでもフェラーリにとっては大きな意味を持つ1台となったようです。

 予定された200台を大きく上まわって272台(諸説あり)が販売されたフェラーリ288GTOですが、近年はオークションで人気の1台となっているようです。272台という限られた台数が、需要と供給の関係から落札価格を引き上げているのは間違いありません。

 実戦に向けて開発されただけにパフォーマンスは明らかに高いレベルにあり、同時にフェラーリ史上もっとも美しい1台と評される、流麗なシルエットのなかに端正さも併せ持ったスタイリングも大きな魅力となっているのでしょう。それにしても2億から3億円、ときには4億以上の値が付くこともあるそうですが、いずれにしても、これはアナザーワールドの話でしかないと感じています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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