スバル・サンバーベースのサンバルギーニ・コカウンタックLP360
続いて紹介するのは、群馬県で自動車整備工場を営む福田博之さんが自作してしまったサンバルギーニ・コカウンタックLP360とマッハ号が完成するまでのエピソードだ。
お客さんの下取り車だった360cc/2ストロークエンジンのスバル・サンバートラックをコカウンタックに変身させた福田さん。以前、ホンダ・S600のフロントフェイスをホンダ・トゥデイのモノに付け替えるというユニークなチャレンジをしたことでも知られる自動車趣味人だ。
コカウンタック製作のきっかけとなったのは、1998年に訪れたラスベガスで開催されている世界最大規模の自動車パーツ見本市「SEMAショー」で、“自由にカスタマイズされた数々の車両たち”との出会いからなのだという。シボレー・コルベットやT型フォードなどのカスタマイズカーを会場で見た福田さんは「こんなに自由に造っていいんだ、自分も造りたいモノを造ればいいんだ」と衝撃を受けたらしい。
当時、ちょうど福田さんのお店にはお客さんの下取り車だった360㏄/2ストロークエンジンのスバル・サンバートラックがあった。「このクルマで小学生のときにスーパーカー展示会で見た憧れのランボルギーニ・カウンタックを作るとしたら、どうなるだろう?」と思い、それを実行することにした。
せっかく造るなら軽規格で維持しやすく、サンバートラックのようなフレーム車はエンジンや足まわりがフレームに付いていて、製作中に移動しやすいだろうな、とも考えたらしい。
「じつはそのころ、街なかで軽バンにスーパーセブンを描いたクルマを見たんです。当時の愛車だった日産・バネットを見たらちょうどクルマが描けそうな面積だったので、私も大好きなカウンタックをエアブラシでサイドボディに描いてみたら乗れそうな大きさであることが分かりました。これならイケると思い、いよいよ造り始めました」
それ以来構想を重ね、仕事の合間を縫いながら作業して2002年6月にコカウンタックが完成した。
カタチがLP400S風(エアロパーツが装着されている1978年以降のモデル)になっているのは、造る際の見本として、福田さんがたまたま売っていた1/18スケールのブラーゴ製カウンタックLP500S(1983年に登場した5リッターモデル)を買ったからだ。それでも「リヤウイングが無いほうがカウンタックらしかったので、外しました」とは福田さんのコメントである。
どうやって造ったのか? を、もっと詳しく記すと、まずベースとなるサンバートラックのヘッド部と荷台を取り外し、フレームの上にパイプでボディのアウトラインを組み立てていった。
その後、ラス網を張ってボディの面を出してFRPを上に貼り付け、パテ成型した。ボディは既述したようにミニカーを採寸して導き出したもので、図面に書かれた数字を13倍するとサンバルギーニの大きさになるように設計。特徴的なシザードアは、本物のドアヒンジを見たことがなかったので、モデルカーを参考として開閉機構を考えていった。左側だけだが、ちゃんと上に跳ね上がるようにしている。
リトラクタブルヘッドライト・リンクは、最初、開くときにリッドとライトが別々に動いてしまい、それをワンモーションでできるようにするために1カ月ほど悩んだらしいが、結局、偶然できあがったのだという。リトラクタブルヘッドライトを閉じたとき、タイヤに干渉しないようにすることにも福田さんは注力。こちらの問題も見事にクリアしたのであった。
ワンオフで作った右シフト仕様のマイクロ・スーパーカーは、友人が作ってくれたというオリジナルのエンブレム(雄牛の代わりにサンバー=水鹿をあしらったモノ)を持ち、センターステアリングのシングルシーターとなっている。造り始めのころこそ「リヤカーでも造ってるんか~」などと少々小バカにされていたそうだが、いざ完成すると、みんなビックリして「よくできたね」と称賛してくれたらしい。福田さんの奥さまも、長いこと時間がかかったので、完成してホッとしたそうだ。
マツダ・ロードスターベースのマッハ号
福田さんは、もう1台、1967年に放送が開始された往年のテレビアニメ「マッハGoGoGo」に登場したあの「マッハ号」まで自作している。マッハ号に関しては、福田さんが小学生のころにテレビアニメでマッハ号を見て、それ以来ずっと憧れ続け、いつか欲しいと思っていたことが製作のきっかけなのだと言う。
コカウンタックの製作時と同様に、マッハ号の石膏原型は550ccサンバートラックのフレームを使っていた。ボディは驚くことにプラモデルから寸法を採寸し、原型を造っているという。
「プラモデルを引き伸ばした形はとても貧弱だったので大きなダイキャストモデルのボディラインを参考に自分で盛ったり削ったりしながら決めました」とは福田さんのコメント。だが、石膏原型が完成するまでにとても時間がかかってしまい、このぶんでは自分が生きているうちにマッハ号を完成させられない……と思い始めた。そこで福田さんはフレームから造るのではなく、FRPボディを車体に被せる方法に変更した。
福田さんはプラモデルから出した寸法を計算したところ、FRPボディの大きさがお客さんの代車に用意していたユーノス・ロードスターにピッタリということが判明。オープン2シーターでちょうどいいなと思い、これをベース車両とすることが決定した。
「初めて挑んだ石膏原型造りとFRP雌型造り、それとFRPボディとベース車を合体させる際の帳尻合わせ、苦労しましたね」と、懐かしそうに話してくれた福田さんは、このようにも振り返ってくれた。
「途中、FRP製作がうまくいかず、半年ぐらい作業が止まったままのときがあったりしましたが、2002年に製作を始めて完成させるまでに15年(2017年完成)ほどかかりました」
2017年に完成したときの周囲からの感想は「今度はマッハ号を造ったのか!」というものだったが「50歳以上じゃないと、こんなクルマは知らないよ~」というものも多かったという。苦節15年という年月をかけて製作されたマッハ号の完成度も高く、サンバルギーニ・コカウンタックLP360と同じように、完成以来、さまざまなイベントでギャラリーを楽しませている。
今回紹介した4台は、どこかのイベントで拝見できるかもしれない。見かけた際にはそのディテールをじっくり観察してみるといいだろう。