走行性能はレーシングカート的な面白みがあった
「世界最小のスーパーカー」の異名をとる、(マツダ)オートザムAZ-1は、『今でも買っておけばよかった』と思わせる一台だった。その理由は、軽自動車でありながらエンジンは横置きのミッドシップ。しかも、ターボユニットでガルウイングドアを採用していることもあり強烈なインパクトがあった。極めつけはボディの外装を全部外しても走ることが可能な、着せ替え前提のスケルトンモノコックフレームを採用していた。
エンジンそのものは、「平成ABCトリオ」のスズキ・カプチーノと同じスズキ製の3気筒DOHCターボ=F6A型(64ps)だったが、ミッドシップのトラクションの良さを生かし、ゼロヨンなどではカプチーノに圧勝。同じミッドシップのホンダ・ビートはNAエンジンだったので、動力性能ではこの三車のなかで一番だった。
コーナリングスピードもサーキットなど路面がフラットなところでは、軽自動車とは思えないレベルを誇っていた。だが、少々路面が荒れているところ、とくにワインディングなどではけっこうデンジャラスで正直褒められたものではなかった。
ステアリングのロックトゥロックが2.2回転
というのも、ミッドシップでフロントが軽く(前後重量配分44:56)、フロントの慣性が小さいうえに、ステアリングのロックトゥロックが2.2回転とかなりクイックな仕様だったからだ。そのため、やたらにステアリング操作に敏感で、よく曲がるといえばよく曲がるが、世の中の常として、よく曲がるクルマは直進性が悪い。
AZ-1はその典型的なクルマで、路面の影響を受けやすく、真っ直ぐ走らせるために神経を使い、高速道路のような路面でも疲れを覚えるほど。
また、グリーンハウスにガラスを多用し、エンジンの重心高が高かったため(FFのアルトワークスのパワートレインを流用した)、ボディサイズの割にロールモーメントが大きく、得意のコーナリングでもコントロール性では苦労させられた一面もあった。
そういう意味で、乗り手を選ぶ危ない特性ではあったが、エンジンはS2000と同じく9000回転からレッドゾーンでパワフル。車重もスケルトンモノコック+FRPの外装のおかげで720kgと軽く、レーシングカート的な面白みがあった。
生産台数は2年と11カ月で4409台だった
バブル崩壊のあおりを受けて、総生産台数4409台、販売期間2年と11カ月と短命に終わってしまったが、あれほど尖りすぎていたクルマが新車で149万8000円だったというのはどうみてもボーナスプライス。
今では許されない見切り発車ぶりであったため、もう二度とAZ-1のようなクルマは出てこないだろうが、合理的とはいえない異端のクルマが一台ぐらいあってもいいのではないだろうか?
軽カースポーツカー史上、もっとも尖っていたAZ-1。名車とはいえないが偉大な実験車的キャラ(AZ-1のOEM版の車名がスズキ・キャラ)として忘れられない存在だ。