名車が多い「89年組」の代表格
1989年は和暦が昭和から平成にあらたまった年で、まるでそのことが見えないチカラになっていたかのように、のちに名車と言われるようになる日本車が数多く登場した。
トヨタ・セルシオ(現レクサスLS)の初代モデルも、そんな’89年に登場したモデルの1台だった。車名のセルシオ(CELSIOR)はラテン語で“至上”“最高”の意味をもつ“celsus”に由来。文字通りトヨタの新たなフラッグシップモデルの位置づけだった。
新たなテストコースもセルシオ誕生に貢献した
だが、いろいろな配慮がきっとあったに違いなく、じつはセルシオの発売(10月)に先駆け、同じ年の夏(8月)に、それまで長年トヨタのフラッグシップだったクラウンにセルシオよりひと足早く、セルシオとは基本的に共通の新世代の4Lアルミ製V8フォーカム32バルブエンジン「1UZ-FE型」が搭載された。
ちなみにトヨタの“T”を横と縦のふたつの楕円を組み合わせて表わしたシンボルマークは、この初代セルシオが記念すべき初装着車だった。いかにトヨタが、この初代セルシオを重要に考えていたかがわかる。
それと、この初代セルシオの登場と前後して、トヨタ自動車北海道士別試験場も完成した。約500万m2(約150万坪)、1周10kmの第1周回路を筆頭に5つの周回路をもつこの試験場で、初代セルシオは通常のクルマの2倍以上の時間を費やして開発されたという。メルセデス・ベンツSクラス、BMW7シリーズといった(のちにそれらを驚愕させることになる)、200km/hオーバーの欧州の名だたるプレミアムカーの領域に到達するための性能は、士別のプルービンググラウンドで磨かれたというわけだ。
「ワールド・ワイドで通用する世界トップレベルのハイ・パフォーマンス・ラグジュアリー・カーの創造」が開発の狙い。そのために掲げられたのが、車両の基本思想では高度の機能性の追求、人間に対する温かさの追求。技術開発の基本方針としては、YETの思想(背反事項の高レベルでの両立)、源流主義(源流まで遡る機能の向上)だったと、発表当時の資料にも記されている。
開発日程6年、携わった開発スタッフは3700名を超え、スケッチデザイン数千枚、クレイモデル50台近く、プロトタイプ450台以上、そして全走行テスト350万kmオーバー。……資料からの引用で少々堅苦しいが、要は何もかもが、それまでのクルマとはケタ違いだったということだ。
静粛性能はさらに磨きをかけた
とくに静粛性にかけては、品質と並び元々トヨタ車の強みの部分ではあったが、初代セルシオではそのレベルがさらに引き上げられた。具体的には徹底的なフラッシュサーフェス化が行われたボディをはじめ、ルーフ部の4重シールウェザーストリップ構造、ドア全周の2重シール化、ピラー・ルーフヘッダー間断面への発泡剤の使用など。
また、世界初だったという制振積層鋼板(金属粉を混入させら50ミクロンの樹脂を鋼板でサンドイッチした部材)を使うなど、キャビンまわりの“音・振”対策は入念に行われた。エンジン、サスペンションまわりの“源流対策”と併せて、ライバル車を驚かせることとなった初代セルシオの静謐な室内空間は実現されていた。