北米の自動車政策の餌食となり好調だった販売が不振に陥る
そんな初代RX-7は12A型エンジンをフロントミッドに搭載したFRのスポーツカーであり、北米では当初自然吸気エンジンのみが販売され、優れたエンジン性能と軽快な走行性能もあって高い人気を博していた。しかし、オイルショックなどの影響で北米でも厳しい排ガスの浄化性能が求められ、元々環境性能に優れていたロータリーエンジンではあったが、重箱の隅をつつくように燃費の悪さがクローズアップされ、販売が伸び悩む。
しかし、1982年のマイナーチェンジではターボモデルを追加。小型のロータリーエンジンならではのフィーリングもあって、2代目へと続くことになる。また、北米では法律などが絡んで、SA22C型のコードネームは(型式)は北米では最終的にFB3Sとなる。
これは2代目RX-7はFC3S、3代目がFD3Sとなるのはこの名残りだと推測できる。販売面においては、初代フェアレディZほど北米では好成績を残せなかった初代RX-7だが、モータースポーツでの活躍もあって今も多くのアメリカ人の記憶に残るロータリ・スペシャリティであったことは間違いない。
プアマンズポルシェの蔑称はじつは褒め言葉であった!
半世紀以上も前に、自動車の一大マーケットであった北米で存在感を発揮した初代フェアレディZと初代RX-7は偉大であった。スポーツカーは高いという概念を覆しながら海外で順調に売り上げを伸ばしたことで、次期型モデルの開発や日本やグローバルでの拡販戦略につながる原資となったことは言わずもがな。
国産名車たちを愛する日本人にとって、いささかプアマンズポルシェとは失礼な話にも聞こえるが、誰もが認める世界のスポーツカーであるポルシェに擬えられたことは、褒め言葉とも解釈できる。開発陣は「もっと予算が……、もっと時間が……」という思いのなかで開発してきたに違いない。そしてその歴史は続き、現在の日本でも世界に誇れるスポーツカーが数多存在する。それは先人たちが築き上げた功績があってのことだし、クルマの電動化が進むなかでスポーツカーの黎明期に世界と戦ってきた先人たちに感謝申し上げたい。