プアマンズポルシェと揶揄された2台の国産名車を振り返る
日本には、世界に誇れる歴史あるスポーツカーがある。それが先日、先行特別仕様車である「Proto Spec(プロトスペック)」の予約が国内で開始された日産フェアレディZだ。振り返ると初代フェアレディZの登場はなんと1963年のことで、日本が誇る歴史あるスポーツカーの1台である。
初代モデルのS30型は、現在から見れば非常にコンパクトな5ナンバーサイズ(全長4115mm×全幅1630mm×全高1280mm)ながら、2.0~2.8Lの直6エンジンを搭載。軽量かつコンパクトなボディに高性能なエンジンを積み、ストラット式4輪独立懸架を持つ走りは多くのファンを魅了した。またスタイリングも薄口グリルと丸目ヘッドライトが印象的なロングノーズ&ショートデッキという、スポーツカーらしい佇まい。ひと目でスポーツカーだと認識できる走りを予感させるフォルムを採用した。新型フェアレディZでもこの初代をオマージュしたスタイリングが継承されたことからも、初代フェアレディZの偉大さを物語ることができる。
北米で大成功もプアマンズの蔑称で揶揄された初代フェアレディZ
ちなみに初代フェアレディZは北米市場で大ヒットし、グローバルでは約55万台が販売された。逆に日本では極少数台のリリースであった。それもそのはず、「Z」が付かないフェアレディ(1962〜1970年生産)は、1952年登場のダットサン・スポーツ(日産の海外向けブランド名、一部日本でも使われていた)を起源とするオープンカーで、フェアレディ=貴婦人の名に恥じない美しいスタイリングのクルマであった。そこで当時の北米市場を統括した故・片山 豊氏が『北米で販売される欧州のスポーツカーに負けないクルマを作ろう』と発案して誕生したのが初代フェアレディZで、時代に合わせて貴婦人路線から一転、本格スポーツカーに転身したという経緯があった。
この初代フェアレディZは北米ではダットサンZとかZ(ズィー)カーといった愛称で呼ばれるほど親しまれ、TVや雑誌などで度重なり紹介されるほど注目を集める。“日本でもスポーツカーを作れる”ことをすでに自動車大国であった北米相手に証明し、多くのユーザーに愛され続けた。そんな初代フェアレディZだが、その人気ゆえに揶揄されることになる。それがプアマンズ○○で、ようは貧乏人向けのスポーツカーという意味で囃し立てられ、その一例がプアマンズポルシェという蔑称だ。
スポーツカーゆえのスタイリングが初代RX-7にも烙印が押される
このとばっちりを受けたのが画期的なロータリーエンジン搭載車の系譜モデルであり、1971年に登場したマツダ・サバンナの後継モデルとして1977年にデビューしたSA22C型初代RX-7だ。空力と視界を追求したリトラクタブル・ヘッドライトが印象的なスタイリングは、ちょうどポルシェ911の販売に陰りが見えてきたポルシェが、1975年に発売したFRモデルの924と似ている? と思われたことからそうなったのだろう。
ただし初代RX-7は日本国内での評価は高く、筆者は“プアマンズ○○”という言葉をRX-7を取り扱った雑誌の記事で覚えた記憶がある。いずれにせよコスモスポーツ以来、伝統のロータリーエンジンを積むことが前提のモデルであり、ロータリーならではのコンパクトなエンジンルームは必然のスタイル。百歩譲ってマツダの開発陣がポルシェ924を横目で見ていたとしても、開発期間の違いやコンピュータやインターネットが未発達の時代に、924を真似て開発できたかと考えると難しい。両車ともスポーツカーとして生まれたことを考えれば、スタイリングがどうしても似てしまうのは道理と言える。
北米の自動車政策の餌食となり好調だった販売が不振に陥る
そんな初代RX-7は12A型エンジンをフロントミッドに搭載したFRのスポーツカーであり、北米では当初自然吸気エンジンのみが販売され、優れたエンジン性能と軽快な走行性能もあって高い人気を博していた。しかし、オイルショックなどの影響で北米でも厳しい排ガスの浄化性能が求められ、元々環境性能に優れていたロータリーエンジンではあったが、重箱の隅をつつくように燃費の悪さがクローズアップされ、販売が伸び悩む。
しかし、1982年のマイナーチェンジではターボモデルを追加。小型のロータリーエンジンならではのフィーリングもあって、2代目へと続くことになる。また、北米では法律などが絡んで、SA22C型のコードネームは(型式)は北米では最終的にFB3Sとなる。
これは2代目RX-7はFC3S、3代目がFD3Sとなるのはこの名残りだと推測できる。販売面においては、初代フェアレディZほど北米では好成績を残せなかった初代RX-7だが、モータースポーツでの活躍もあって今も多くのアメリカ人の記憶に残るロータリ・スペシャリティであったことは間違いない。
プアマンズポルシェの蔑称はじつは褒め言葉であった!
半世紀以上も前に、自動車の一大マーケットであった北米で存在感を発揮した初代フェアレディZと初代RX-7は偉大であった。スポーツカーは高いという概念を覆しながら海外で順調に売り上げを伸ばしたことで、次期型モデルの開発や日本やグローバルでの拡販戦略につながる原資となったことは言わずもがな。
国産名車たちを愛する日本人にとって、いささかプアマンズポルシェとは失礼な話にも聞こえるが、誰もが認める世界のスポーツカーであるポルシェに擬えられたことは、褒め言葉とも解釈できる。開発陣は「もっと予算が……、もっと時間が……」という思いのなかで開発してきたに違いない。そしてその歴史は続き、現在の日本でも世界に誇れるスポーツカーが数多存在する。それは先人たちが築き上げた功績があってのことだし、クルマの電動化が進むなかでスポーツカーの黎明期に世界と戦ってきた先人たちに感謝申し上げたい。