洗練された上級クーペにクルマ好きの誰もが憧れた
ソアラ。何度あらためて発音してみても、何とも優雅でステキ過ぎると思える車名である。まして今は何かと平穏に過ごすことが大変な時代だから、空を眺めながら「ああ、あの雲になりたいなぁ」などとしばしば考えたりもするが、まさしく上級グライダーの意味をもつソアラなら、あの空を飛んでいる気分になれるのかも……と思わせられる。
……と、筆者の独り言はさておき、ともかくソアラはいい時代に生まれたいいクルマだったことは間違いない。とくに初代とそのコンセプトを受け継いだ2代目までは国内をターゲットにしていたこともあり、そのことで身近な(今の感覚からすれば車両価格も)、またはそのちょっと上をいく存在として、心から憧れることのできるクルマでもあった。
輸入高級クーペにも負けない質感を与えられた初代
初代が登場したのは1981年2月。その直前の’81年11月に開催された大阪国際オートショーに“EX-8”として登場したのが初出だった。デビューすればトヨタのフラッグシップモデルとなり、それまでのクラウンのハードトップ(’79年の登場した6代目クラウンにはまだ2ドアハードトップが用意されていた)に匹敵する高級パーソナルカー、またはセダンなどのバリエーションを持たない高級スペシャルティカー、そういう位置づけとなるクルマだった。
スタイリングはオーソドックスな3ボックスのノッチバッククーペ。BMW6シリーズ、メルセデス・ベンツSLCなども同じノッチバッククーペだったことから、デビュー前から“トヨタ版633CSi”などとも言われた。いずれにしても当時のトヨタ車のデザイン流儀に則った、わずかにウェッジのかかった直線基調のクリーンなスタイリングは、高級車としては虚飾を廃したもの。
それとキャビンを横から見たときに、A/B/Cピラー間を6:4(他社は7:3だとトヨタは説明していた)の比率とし、各ピラーを上に延長させるとある1点に集約されるデザインは、2代目にも踏襲されたソアラのアイデンティティだった。
インテリアではエレクトロニックディスプレイメーターと呼ばれる、いわゆるデジタルメーターが売り。国産車では初採用(いすゞ・ピアッツァの登場は少しあとの同年6月)だった。
“未体験ゾーンへ。”のキャッチコピーどおり、当時“ニッパチGT”と呼ばれた、5M-GEU型の直列6気筒DOHCの2759ccエンジン(170ps/24.0kg-m)は、“日本のGT史上、最強を誇るツインカムエンジン”(カタログの文面より)だった。もう1タイプ、新世代の6気筒の1G系のツインカム(1G-EU型)を用意したほか、’81年7月にはM-TEU型、2Lターボが登場している。日本車初の4輪ベンチレーテッドディスクブレーキの採用(GT系ほか)、まだ“70”の時代だったがミシュランXVSタイヤの採用などもポイントだ。さらに’85年になると、トップモデルのエンジンが3Lの6M-GEU型(190ps/26.5kg-m)となり、さらに性能向上を果たした。