ニッチながらも根強いファンがいる「3ホイーラー」
英国のモーガン社が新型3ホイーラー、「スーパー3」を発表、話題を呼んでいます。同社として初のモノコック構造を採用し、エンジンもインボード式でフォード製1.5Lの直列3気筒を搭載するなど、これまでの3ホイーラーのパッケージを一新。それでも、現代では圧倒的な少数派となった3ホイーラーは継承しています。今回は、スーパー3を紹介しつつ、イギリスで今も生き永らえている3ホイーラーの歴史を振り返ります。
4輪車より先に生まれた3輪車、カタチも千差万別
「3ホイーラー(3輪自動車)」とひと口に言っても、前2輪なのか後2輪なのか、あるいは前後輪に側輪のついたサイドカーのような3ホイーラーもあります。駆動方式にしても、前輪駆動なのか後輪駆動なのか。また操舵(ステア)も前輪操舵なのか後輪操舵なのか。そのパッケージはまさに千差万別です。
そして歴史的に見ても4輪車よりも3輪車の方がはるかに早く登場しています。内燃機関による自動車の始祖は、1886年にカール・ベンツが製作した「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」とされていますが、こちらは前1輪で2輪の後輪を駆動する3ホイーラーでした。
さらに、時代を遡って18世紀後半にフランスで製作された「キュニョー」の砲車は、蒸気機関を使った世界初の自動車とされていますが、こちらも前1輪で、その1輪の前輪を駆動する3ホイーラーでした。
3ホイーラーが4輪の自働車に比べて早い段階で登場した最大の理由は、技術的なものだったろうと考えられます。タイヤが1本少ないだけで機構が簡便になることは、単純に考えてもわかります。ですが、駆動機構や操舵機構を組み込むことを考えれば、3輪の方が4輪に比べて遥かに簡便なものになるのは言うまでもありません。
3ホイーラーが独自に発展してきた理由
一方、3ホイーラーがマーケットに受け入れられた理由としては、価格や税制の優遇など経済的なメリットに加えて、免許制度や緩和された交通規制などが挙げられます。例えばイギリスではかつて、3ホイーラーに対しては2輪の運転免許でドライブできるという優遇措置が取られていて、4輪の運転免許を取得していない人たちにも受け入れやすい「クルマ」だったということがあります。
もちろん、その歴史の早い段階から「スポーツ」を謳い、実際問題充分なパフォーマンスを発揮していたモーガンの3ホイーラーは、そうした軽便な3ホイーラーとは一線を画していました。ですが、街なかに3ホイーラーが溢れていたことで、イギリスではそれが受け入れやすい市場体質となっていたことは否定することができないでしょう。
ちなみに、もう7~8年前のことになりますが、北京にモーターショーの取材で出かけた際に、大連に足を延ばして博物館を取材したことがありまして、大連の駅前からホテルまで、3輪タクシーで向かいました。うっかりとして写真を撮り忘れたのですが、この地に根差した進化を遂げていた3輪タクシーは、意外と快適だったことを記憶しています。
100年以上前に生まれた初代3ホイーラー
先頃新型が登場したモーガン3ホイーラーですが、その先代モデルは何度かのマイナーチェンジを繰り返しながら長いモデルライフを生き延びていました。何と初登場は1912年で、その年の2輪ショーでデビューを果たしていたのです。2輪用のV型2気筒エンジンをフロントアクスルの前に搭載。エンジンの後方にラジエターを置く独特のスタイルは、このときから確立されていました。
ちなみに、空冷エンジンを搭載したモデルでも、水冷モデルと同様に馬蹄形のラジエターカバーが装着されていて、モーガン「らしさ」を共有していました。シャシーはバックボーンフレームでパイプのなかをドライブシャフトが貫通していました。
フロントサスペンションはスライディングピラー式……これは垂直のピラー(筒)のなかに上下に長いキングピンを通してキングピンがピラーを軸にステアするとともに、ピラーに沿って上下にストロークするというもの。小型のサイクルカーでは一般的になっていましたが、ランチアが1924年にリリースしたラムダで採用したことから、大きく注目を集めることになりました。当然左右独立懸架ですから、スイングアーム式と思われる後輪も含めて3輪独立懸架、言葉のイメージとしては全輪独立懸架ということになります。
エンジンは当初、プジョーで開発が取りやめとなった2輪のものをプロトタイプでは装着していましたが、市販に際してはJAPやアンザニ、ブラックバーンなどの2輪用エンジンが採用されています。1911年に誕生したオリジナルのシリーズは第二次大戦前の39年まで生産されています。