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ホンダ・コニリオって何もの? 激レアな「エスハチ」ベースのレーシングマシンの全容

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

エスハチのシャシーにFRP製の軽量なボディを架装したコニリオ

 先に触れたようにコニリオは、エスハチのシャシーに架装するボディキットです。なのでシャシーに関してはベースのエスハチそのままで、ラダーフレームに組み合わせるフロントサスペンションはトーションバーで吊ったダブルウィッシュボーン式独立懸架。ホンダS800

 リヤサスペンションはエスハチの前期型と中期/後期型で違っていて、前期型はチェーンケースを兼ねたトレーリングアームをコイルスプリングで吊る独立懸架。中期/後期型は4本のトルクロッドとパナールロッドで位置決めしたリヤアクスルをリーフスプリングで吊るリジッド式でした。ホンダS800

 コニリオの1号車、通称“MK-Ⅰ”には後者が選ばれていました。言うまでもなくレース仕様ということで、サスペンションは強化。エンジンについては、エスハチ用の791ccツインカム直4のAS800E型をベースに、レース出場に向けては鈴鹿サーキットにあったRSCでチューンした850cc仕様を搭載していました。ホンダ・コニリオのエンジン

 デビューレースとなった1968年11月の富士フェスティバルではセッティングを進めるどころか、いくつか初期トラブルも見つかり勝負は度外視の、まさに実戦テストとなったようです。それでもレースを走り切った甲斐もあり、問題点を洗い出しました。ホンダ・コニリオ

 セッティングも進めて1カ月後に同じ富士スピードウェイで開催された参戦2戦目の富士チャンピオンレースでは、公式予選でトップタイムをマークしてポールポジションを奪い、決勝レースでもトップを快走。一次トップ逆転されたものの、相手のトラブルもあって再逆転。2レース目で優勝を飾ることができていました。ホンダ・コニリオ

 コニリオは結局、クーペも含めて10台が製作されています。その多くが各地のレースで活躍していて、残念ながら記憶は確かではないものの、高校生のころに中山サーキットで走っているのを見た憶えがあります。残念ながら整理が行き届いていなく、写真がどこにあるのかわからないため、ここでご紹介することもできません。マシンはノーズ部分に手が加えられ、ボディパネルも一部はアルミに置き換えられていたような気がします。

 またロードゴーイング仕様のコニリオ・ビアンコですが、1970年の第3回東京レーシングカーショーに白い個体が展示されていたようですが、石川県の小松市にある日本自動車博物館には赤い個体が収蔵展示されていました。ホンダ・コニリオ・ビアンコ

 もう10年近く前になりますが、同館を訪れた際に、広いフロア中央の、一段高いステージに展示されていて、遠目にそれと確認してとりあえず写真にも納めたのですが、これがレーシングカーショーに展示されていた白い個体を塗り直したのか、まったく別の個体なのか、詳しいことを確認しないまま時が流れてしまいました。

ホンダコレクションホールに収蔵されているコニリオは……

 ここからはまったくのプライベートなエピソードになりますが、ホンダコレクションホールに収蔵されているコニリオ……レース仕様のスパイダーは、じつはわが家にあったエスハチがベースになっています。いやなっているそうです。

 もうだいぶ昔のことになりますが、取材でツインリンクを訪れた際に、取材でお世話になる知人から「了ちゃんのエス、コニリオになってるよ!」と驚く情報がもたらされたのです。「!?」。確かにわが家にあったエスハチは、電気系が不調で手に余しかけていて、家に置いておいても朽ち果てていくだけだし、コレクションホールに引き取ってもらったら綺麗にレストアしてくれるんじゃないか、などと思って持って行ってもらったのですが……。ホンダ・コニリオ

 これじゃあまるで、病弱な娘を入院させてドナーを探してもらっていると思ったら、何といつの間にか娘はアスリートに変身してオリンピックに出ていたのをテレビで初めて知ったようなもの。驚いたなぁ、もう。アスリートになった彼女とはまだ対面していませんが、コロナが明けたら訪ねてみたいです。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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