燃費性能と環境性能をめぐるディーゼルの100年
ディーゼルエンジンは、1892年にドイツ人のルドルフ・ディーゼルによって発明された。ガソリンによる4ストロークエンジンを発明したドイツ人のニクラス・アウグスト・オットーが製造に成功した1864年から、28年後のことだ。オットーのガソリンエンジンは定置型の大きな寸法だったが、これを小型化して自動車としたのがカール・ベンツでありゴットリープ・ダイムラーだ。1886年のことである。
したがって、ディーゼルエンジンは、世界初のガソリンエンジン車が走り出したあとに生まれたことになる。しかも、ディーゼルエンジンの実用化には難しさがあり、ディーゼルエンジン車が現われるのは1920年代に入ってからのことだ。
国産乗用車では「トヨペット・クラウン」が先駆け
日本では、トラック/バスの商用車でディーゼルエンジンは普及し、乗用車はガソリンエンジンが中心となった。国内で最初にディーゼルエンジンを搭載したのは1959年の「トヨペット・クラウン」であったという。62年には、当時は乗用車を生産・販売していたいすゞが、「ベレル」にディーゼル車を設定している。64年には「日産セドリック」にもディーゼルエンジン車が加わった。80年代に入るとディーゼル車も数を増やしたが、背景にあったのは「ビッグホーン」や「三菱パジェロ」といったRV(レクシエーショナル・ヴィークル)人気があった。83年には、ダイハツが小型2ボックス車の「シャレード」に、直列3気筒ディーゼルを搭載した。
東京都の「ディーゼル車NO作戦」で激減
しかし、1999年に当時の石原慎太郎東京都知事が「ディーゼル車NO作戦」をはじめ、黒煙の元となる「PM(粒子状物質)」の浄化に乗り出し、商用車はもちろん乗用車にも影響はおよび、ことに乗用のディーゼル車は一気に数を減らした。
2012年になって、マツダが「SKYACTIV」を導入したSUV(スポーツ多目的車)の「CX-5」を売り出すに際し、ディーゼル車を中核として国内でのディーゼル乗用車人気が再燃した。ハイブリッド車を持たない輸入車も、ディーゼル車を販売して復活の兆しとなった。ところが、15年にフォルクスワーゲン(VW)が米国でディーゼル車の排出ガス偽装問題を起こし、欧州自動車メーカーは電動化へ転換しはじめる。
「PM」と「NOx」の同時処理がつねに難題
ディーゼル車NO作戦や、VWの排出ガス偽装問題の背景にあるのは、ディーゼルエンジンの根本原理による。
ディーゼル車は、揮発性の低い軽油などの燃料を用い、20前後の高い圧縮比で自己着火させて燃焼するため熱効率が高く、燃費のよさで商用車や、欧州では小型車の主力エンジンとして育った。重量が重く燃費の悪いSUVの燃費改善にも貢献した。
しかし、高い圧縮比による自己着火であることから、燃料が燃え切らないと黒煙など粒子状物質(PM)を排出しやすい。逆に燃焼を改善すれば燃焼温度が高くなることで、光化学スモッグの原因となる窒素酸化物(NOx)の排出が増える。背反する有害物質の排出に悩まされるエンジンなのだ。
新触媒「尿素SCR」という選択肢が現れたのに……
それを解決するため、日産ディーゼル(現UDトラックス)とダイムラーがほぼ同時に「尿素SCR(選択還元)」という触媒を開発した。まず燃焼を改善しPMの発生を極力抑える。それによって増えるNOxを、尿素SCRで還元する仕組みだ。ディーゼル本来の燃費のよさも保持できる。ただし、この触媒を機能させるには尿素水溶液(通称「AdBlue」=アドブルー)を定期的に補充する必要があり、その手間と費用を惜しみ当初は多くの自動車メーカーが採用を見送った。ところが、排出ガス浄化が十分にできず、偽装問題が起きたのだ。
もはや内燃機関は環境性能の限界に達しつつある
現在のディーゼルエンジンの排出ガス浄化性能は、ガソリンエンジン車と同等といわれる。だが、それは規制値内に収まっているだけで、現実に排出される有害物質の量はディーゼル車のほうがガソリン車より多い。ディーゼル車が普及することにより、首都圏ではふたたび光化学スモッグが発生している。
ガソリンエンジンも、燃費向上のため圧縮比を高めて筒内噴射(直噴)を用いることにより、ディーゼルエンジンと同様PMの排出があり、欧州ではガソリン車も粒子状物質のフィルター(「GPF」=ガソリン・パティキュレート・フィルター)を装備しなければならなくなっている。
つまり、ディーゼルにしてもガソリンにしても、もはやエンジンは性能の限界に達しつつある。環境基準を満たそうとすれば手ごろな動力ではなくなってきたため、VWにはじまり、先般の日野自動車の偽装が起こり、また軽自動車ではガソリンエンジンでも燃費偽装が行われたといえる。