下半身不随でもカッコよくドリフトを決められる!
手足に不自由のある人であっても、さまざまな「運転補助装置」を使うことでクルマの運転が可能となる。さらにはレースに挑戦する人もいて、日本でも車いすレーサー・青木拓磨選手が2021年に「ル・マン24時間耐久」に出場して完走を果たしたのが記憶に新しいところだ。
もちろん海外でもレース活動をしている車いすユーザーは多く、多彩なモータースポーツに進出している。ここでは、ドリフトの魅力にとりつかれて手動運転装置でトレーニングを重ね、2018年にギリシャのドリフト選手権ストリートリーガル部門で優勝を果たしたプライベーター、「スピネラコス」さんをご紹介しよう。
運転補助装置が普及しているギリシャ
ギリシャの首都アテネに住むスピネラコス(Spinnerakos)さんは今年で40歳。この名前はニックネームで、ドイツ語の「Spinner」(クレイジー)に由来して「クレイジーなギリシャ人」といった意味だが、英語の「spin」とも掛かっていて、いかにもドリフト野郎らしい。
彼が下半身不随になったのは13歳のときで、脊髄脂肪腫の手術が失敗したため。以来、車いすユーザーとして暮らしてきた。18歳で運転免許を取得して、EG型ホンダ・シビックの手動運転補助装置つきでクルマの運転を覚えたそうだ。
「ギリシャでは手動の運転補助装置はとてもポピュラーな存在です。公共交通機関がほとんど役に立たないので、必需品と言っていいですね。クルマを運転して自分で移動できることは、身体障がい者にとって、もっとも基本的な“未来”なんですよ」
日本の「チームオレンジ」の走りを見てドリフト開眼
スピネラコスさんが「ドリフト」に興味を持つようになったきっかけは2007年。当時は日本発祥のドリフト文化がギリシャでも盛り上がり始めていた時期で、日本のドリフトチーム「チームオレンジ(Team ORANGE)」がアテネ市のレースイベントにゲスト参加しデモランを披露したのだ。
「それを見て、これだ! いつか自分もドリフトドライバーになりたい! って思いましたね」
それから間をおいて33歳になった2015年から本格的にドリフトのレッスンを受け始めたスピネラコスさんは、翌2016年のギリシャ・ドリフト選手権にエントリー。ドリフトの公式レースに障がい者が参加したのはギリシャでは初めてのことだった。