マルチェロ・ガンディーニが手掛けた最初のマセラティ
マセラティ・カムシンのデザインを手掛けたのは、当時ジウジアーロの後任としてベルトーネのチーフデザイナーに招かれていたマルチェロ・ガンディーニでした。彼がマセラティを手掛けるのは、このときが初めてのこと。
鋭角的に張り出したサイドのエッジが、フロントノーズからせり上がるようにカーブを描きながら、テールエンドまで伸びるウエストラインが特徴。全体的にシャープでかっちりした印象を与える、彼らしいデザインに仕上がっていました。
そしてサイドのエッジが張り出していたことでリヤのトレッドも60mm拡幅でき、結果的に+2シートの幅も拡大できたという副産物もあったようです。もっとも特徴的だったのはリヤエンドの処理で、エンドパネルにガラスを用いてテールランプも、そのガラスパネルにはめ込むというもの。
独特の存在感を放っているのと同時に、後方視界を確保する意味でも大きなメリットとなっていました。ただし、リヤのカウルで開閉できるのが上面のガラス部分だけとなり、大きな荷物の出し入れは、少してこずってしまうというデメリットもありました。
また特徴的と言えば、ボンネットに設けられた熱気抜きのルーバーが左右非対称にボンネットにはめ込まれていたのもとても印象的でした。何よりも先代モデルのギブリと同様に、狭いながらも+2シートが用意されているのもグランツーリスモならではの特徴となっていました。
エンジンはマセラティがお得意としていた、5000GTの流れを汲むV8。ギブリの後期モデルで採用されていたのと同じ4.9L仕様で、最高出力は320psとギブリの後期モデル(335ps)からは引き下げられていました。その反面、トルクが引き上げられていて、より使いやすく再チューニングされていたようです。シャーシはスチール製のモノコックに鋼管で組んだサブフレームが組み合わせていました。
サスペンションは前後ともにコイルスプリングで吊ったダブルウィッシュボーンで、4輪独立懸架となり、リヤがリーフスプリングでリジッドアクスルを吊った先代のギブリに比べ、大きく進化したものとなっていました。
そもそもはシトロエンSM用エンジン開発のクライアントで、カムシンが世に出るころまでにはマセラティの経営権をも手に入れていたシトロエンの影響も大きかったようです。ステアリングからブレーキやクラッチ、果てはシートのハイトアジャストやリトラクタブルヘッドライトの開閉まで、すべてにシトロエンの油圧サーボ・システムを採用していました。とくにセルフセンタリング式のステアリングは、過敏に過ぎると不評も多かったようです。
それが原因なのかはわかりませんが、1983年までの9年間のモデルライフのなかで販売台数は430台に留まっていました。1989年には新開発の32バルブ3.2LのV8を搭載したシャマルが、後継として名乗りを挙げ、さらに3200GT、マセラティ・クーペと新しいフラッグシップが誕生することになりました。
モダンなルックスと充分なパフォーマンスはマセラティの新たなフラッグシップに相応しいものであることは充分に理解できるのですが、ギブリやカムシンから漂っていたマセラティの“薫り”が消えてしまったように思えるのは気のせいでしょうか?