レースに勝つために開発されたマシン
近年のオークションでは、ヒストリックな名車が高額で落札されるケースが少なくありません。その金額(数字)にはもう慣れっこになってきましたが、それでも2018年に競売大手のサザビーズがモントレーで開催したオークションで1962年式のフェラーリ250GTOが4840万ドル(当時の邦貨換算で約53億8000万円)で落札されたニュースは、今でも驚きを禁じえません。ということで今回はフェラーリ250GTOを振り返ります。
強引にホモロゲーションを取得したフェラーリ250GTO
まずはフェラーリ250GTOが誕生する経緯から紹介していきましょう。舞台は1960年代序盤の世界スポーツカー選手権でした。1953年から始まった同選手権は、2座席のレーシング・スポーツカーでマニュファクチャラータイトルを懸けて戦っていました。結果、1953年から1961年までの9年間で7回のチャンピオンを獲得するなど、フェラーリの圧倒的な強さのみが目立っていました。
そこでFIA(Commission Sportive Internationale=国際自動車連盟)の下部組織でモータースポーツを統括していたCSI(Commission Sportive Internationale=国際スポーツ委員会)では、1961年までは排気量3L以下のスポーツ・プロトタイプにかけられていたタイトルを、1962年から国際マニュファクチャラー選手権にタイトル名を変更。タイトルはGTカーに与えることが決定していました。
GTカーというのは連続する12カ月間に100台を生産することがホモロゲーション(車両公認)の必須条件でした。スポーツカー専門の小規模メーカーであるフェラーリには無理な話で、要は強すぎたフェラーリを選手権から締め出してしまおう、という意図が見えてくる変更でした。ただしレーススペシャリストでもあるエンツォ・フェラーリは見事な抜け道を発見したのです。それはエボリューションモデルの存在です。
現在でもエボリューションモデル、という考え方はあって、規定の台数を生産されたモデルをベースに改造を加えたモデルを少数だけ製作しエボリューションモデルとしての公認を受ける、ということです。1960年代のフェラーリも同様にしてGTカーのホモロゲーションを取得したのですが、前年までの主力マシンだった250GT SWB=250GTのショートホイールベース版はすでに160台ほどが生産されていたために、新たに開発する新型マシンを、この250GT SWBのエボリューションモデルだと主張したのです。
強引すぎるきらいはあったのですが、この主張が見事通り、新型マシンは250GTOとしてホモロゲーションを受けることができたのです。
ちなみに、250GTOの後継として開発された250LMは、鋼管スペースフレームに3L V12の250ユニットを搭載したモデル。1963年から制定されたGTプロトタイプ・カテゴリーの250P(鋼管スペースフレームのオープン2座)にクローズドクーペのボディを架装したようなもの。
これを250GTOのエボリューションモデルとしてCSIに認めさせようとしたのですが、流石にそれは無理筋で、250LMはGTプロトタイプ・カテゴリーで戦わざるを得なくなりました。そのため3L以下にこだわる必要もなくなり、3.3Lの275ユニットを搭載して戦っています。
古典的なシャシーにフェラーリ内製の流麗なボディを架装
ということで、そろそろ250GTOそのものについて紹介していきましょう。シャーシ(ボディ)に関してはフレーム付きとしている資料もありますが、鋼管スペースフレームとモノコックとのハイブリッドというべきでしょうか。鋼管フレームとアルミパネルを成型してできあがった外皮パネルを組み合わせています。
これに組付けられたサスペンションはフロントがコイルで吊ったダブルウィッシュボーンの独立懸架で、リヤはリジッドアクスルをラジアスアームで位置決めしてリーフスプリングで吊ったタイプでした。意外にもプリミティブなスペックとなっています。やはりクルマは単にスペックでパフォーマンスが決まるって訳じゃないのでしょう。
搭載されたエンジンは250ユニットと呼ばれる3Lの60度V型12気筒。シングルカムのOHCで、最高出力も280psに過ぎませんでした。もちろんレースに出るとなればさらにチューニングが施されることになるのでしょうし、車両重量がわずか950kgに抑えられていたために、ベースモデル(ロードゴーイング)としてはそれで充分だったのでしょう。
そんなV12が収まるロングノーズから流麗なラインでテールに流れるシルエットは、フェラーリの社内デザインだと伝えられています。一連のフェラーリを手掛けてきたピニンファリーナの作品と言っても通用する出来栄えです。この時代には珍しく空力にも充分心が配られ、当時フェラーリのドライバーだったリッチー・ギンサーが提案したと言われるリベット止めしたリヤスポイラーと、フロントノーズの先端に3つ並んだエアインテークがスタイリング上での大きなポイントとなっています。
最後に250GTOというネーミングについても紹介しておきましょう。当時のフェラーリのネーミングの法則通りで、250は1気筒当たりの大体の排気量で、これに12(気筒)を掛けて3L(正確には73.0mmφ×58.8mmの12気筒で2953cc)となるわけです。
GTOはGran Turismo Omologato(GTカーとして公認された、の意)の頭文字を繋げたもので、のちにグループBの公認を取得した288GTO(フェラーリ的には単にGTOが正式名称ですが、250GTOと区別するためにこう呼ばれています)や、こちらは公認には関係ないもののフェラーリ史上最速のロードカーとされている599GTOなどがよく知られています。
さらに他メーカーでもポンティアックGTOや三菱のギャランGTOなどがありますが、こちらも車両公認とは関係なく、フェラーリの250GTOに倣ったものでしょう。
4Lエンジンを搭載したモデル3台を含めても総生産台数は39台と極めて少なく、またレースにおける活躍などその経歴も見事なため、オークションでは最初に触れたような高額で落札されるのでしょうか。マラネロにあるフェラーリの博物館にも何度か訪れましたが、ワイヤリングでクルマのシルエットを描いた展示モデル(オブジェ?)を」見かけただけで、250GTOの実車には、残念ながらこれまでに一度もお目にかかっていません。
フェラーリ本社にも収蔵されていないのか、それとも門外不出の1台となっているのでしょうか?