フェラーリ創業40周年を記念したモデル
戦前からアルファロメオのファクトリーチームをオーガナイズするなど、レース活動を続けてきたフェラーリは、戦後の1947年にスポーツカーメーカーとして創業。1987年には創業40周年を迎えました。そして創業40周年を記念して製作されたモデルがF40です。
ハイパワーな代わりにパワーバンドが狭く、当時のフェラーリF1チームに在籍し、開発ドライバーも務めたゲルハルト・ベルガーをして「雨の日には絶対に乗りたくない」と言わしめたエピソードは有名です。今回は、そんなフェラーリF40を振り返ることにしましょう。
“そのままレースに出られる市販車”として販売されたレーシングカー
最初にフェラーリを名乗ったクルマは1946年に登場したフェラーリ・ティーポ125Sでした。これは“そのままレースに出られる市販車”というか、レーシングカーを市販したもので、あわせて3台が製作されています。
それからもフェラーリは、レーシングカーとロードゴーイングカーの“境界線前後”のスポーツカーを多くリリースしてきました。しかし時代が進めば進むほど、テクノロジーが進化してレーシングカーとロードゴーイングカーの境界戦は一層明確になります。そして“そのままレースに出られる市販車”という概念そのものが覆されるようになってきました。
ロードゴーイングカーのなかでハイパフォーマンスを武器にするクルマは、かつてはすべてがレースを目指していましたが、1970年代から1980年代にかけては“スーパーカー”を目指すようになりました。さらに1980年代後半からは豪華なグランドツーリングカーを目指すようになってきました。
フェラーリも同様で、250GTOや250LM辺りまではレースを目指していたものが、その後はランボルギーニからの宣戦布告を受けて応戦。275GTベルリネッタや275GTB/4、365GTB/4デイトナ、365GT4/BBからBB512、そしてテスタロッサ。フェラーリのロードゴーイングとしては唯一無二のV12エンジンを締め上げてパワーを振り絞りながら、豪華なグランドツーリングカーを目指してきました。
もちろん、レースのレギュレーションもあるので、すべてのハイパフォーマンス車がレースを目指せる時代ではなくなっていたのは事実です。レースで戦うフェラーリを愛してきたティフォーシたちにとっては、物足りない日々が続くことになっていきました。しかし時代は変わっていきます。スポーツカーレースを戦うフェラーリが蘇ってきたのです。
それが1984年に登場した288GTOでした。一見すると近年、フェラーリの屋台骨を支えてきたV8シリーズの先兵を務めてきた308GTBに似ています。
それもそのはず288GTOのボディデザインは、308GTBと同様ピニンファリーナでチーフデザイナーを務めていたレオナルド・フィオラヴァンティが手掛けています。随分とたくましくなった288GTOですが、308GTBに繋がる繊細さは持ち続けていました。
しかし288GTOはそもそも、308GTBをベースにグループBの車両公認(ホモロゲーション)を得るための、いわゆる“ホモロゲ・モデル”という立ち位置になっていていました。世界ラリー選手権への参戦を目指すとされていましたが、WRCではこの時代にはすでに、4輪駆動システムが必須とされていたためWRCに参加することはありませんでした。しかし、WRCに参加することはなくとも288GTOには大きな使命がありました。それは結果的にせよF40のパイロットモデルとなることでした。
エンツォが最後に手掛けた“そのままレースに出られる市販車”
WRCに参加することのなかった288GTOですが、308GTBをベースにしているとは言うものの実際にはまったくの別モノ。ミッドエンジンということは共通していますが、フェラーリ製のV8を横置きにマウントしていた308GTBに対して、288GTOは縦置きマウントでした。
しかもエンジンそのものも、同じフェラーリ製とは言うもののランチアがグループCレースに投入していたLC2用の3Lツインターボをベースに、ターボ係数(1.4)を掛けて4L以下に収まるよう排気量を2855ccにまで縮小したものでした。
さらに、ボディ/シャシーも鋼管スペースフレームに軽量なカーボンパネルなどを使用して軽量化を追求。その288GTOをベースにレーススペシャリストのミケロットによってエボリューションモデルの288GTOエボルツィオーネが製作されました。ベースの400psから650psにパワーアップ。これがF40のパイロットモデルになったのです。
こうしてF40は1987年に登場することになりました。ボディデザインは308GTB~288GTOに引き続いてピニンファリーナのフィオラヴァンティが担当しています。
繊細なイメージは残しつつもノーズがそぎ落とされてシャープになり、リヤには大きなウイングが備わるなど、獰猛なイメージが増しています。シャシーは鋼管スペースフレームに外皮パネルを接合したセミモノコックとなっていますが、外皮パネルにはカーボンファイバーなど最先端の素材が惜しげもなく使用されていて、時代の流れを感じさせます。
エンジンは288GTOと同じく90度V8ツインターボですが、ターボによる排気量換算を気にすることがない分、少し排気量を上げた(2855cc=80.0mmφ×71.0mmから2936cc=82mmφ×69.5mm)もののストロークは短くなっていました。
最高出力は288GTOの400psからF40では478psにまでパワーアップしていました。ターボをサイズアップしたこともパワーアップに繋がっているのでしょうが、いわゆる“ドッカンターボ”だったことは想像に難くありません。ベルガーが「雨のなかでは……」と言ったことも、さもありなん、と思ってしまいます。
エンツォ・フェラーリ御大は、すべてのフェラーリの開発を統括してきたようです。そう考えたとき、本田宗一郎さんのエピソードを思い出しました。現役を退き、80歳を超えてからは免許も返納されながらも、研究所にやってきては最新のクルマをテストコースで試乗するのが常だったと言います。
そんな宗一郎さんが最後にドライブしたクルマがNSXで、普段は小言が多い宗一郎さんですがこのときばかりは現役のスタッフに「お前らすごいクルマつくったなぁー!」と仰ったそうです。すべてのフェラーリの、開発を統括してきたエンツォが最後に関わったクルマがF40でした。エンツォは開発スタッフに果たしてどんな感想を仰ったのでしょうか?