インフィニティQ45の登場がシーマの市場価値を大きく下げた
もうひとつはインフィニティQ45の登場だ。初代はプレジデントを除けば日産のラインアップにおいて一番エライセダンであったが、2代目がデビューしたときには上にインフィニティQ45が存在した。時代はバブル期であったから、お金持ちは当然一番高いセダンが欲しい。となれば、シーマはその選択肢から外れる。
また、インフィニティQ45があるため、ヒエラルキー的に排気量もスペック(270ps/37.8kg-m)も抑えられた。V8 4.1Lの排気量は、初代3Lターボの動力性能をNAで上まわるために導き出された数字であり、セルシオやV8クラウンの4Lを上まわるという理由で採用されたそうだが、買い手の心理としては上位に4.5Lがあるなら、それが欲しい。しかも当時の国内上限である280psならばなおさらだ。
個人的には従来の3L V6ターボを熟成し、4.1Lと同様のスペックまでパフォーマンスを高めて搭載したほうがシーマらしかったと思う。なお、1993年のマイナーチェンジで3L V6ターボは復活している。
さまざまな名車が生まれたバブル期において2代目は埋もれてしまった
つまり、2代目はすべてが中途半端に見えてしまったことが販売低迷の原因。初代デビュー時と異なり、すでにさまざまな名車が登場していたこともあり、飛び抜けた個性(クルマとしての切り札)を失った2代目シーマは埋もれてしまった。インフィニティQ45を海外専用車として販売し、シーマを国内トップに据え、280psの4.5L V8を搭載していたなら、これほどの低迷はなかっただろう。まさに時代に翻弄された1台といえる。