50年前にマセラティ新時代を切り拓こうとしたコンセプトカー
つっぱることが男の勲章だった時代は1980年代ぐらいの話だが、70年代には確かに「トンがることがカーデザイナーの勲章」みたいな時代があった。その白眉が、1972年ジュネーブ・ショーで鮮烈に登場したコンセプトカー「マセラティ・ブーメラン(Maserati Boomerang)」だ。いや、あの当時はあえて「マセラッティ」だったっけ。
ウェッジシェイプの先駆者ジウジアーロがデザイン
ブーメランが特異とされるのは、全盛期のウェッジシェイプを究めたその尖り具合にある。デザインを手がけたのは「イタルデザイン」のジョルジェット・ジウジアーロ。ブーメラン登場前年には「ランボルギーニ・カウンタック」が、同じく「ベルトーネ」出身で後輩筋にあたるマルチェロ・ガンディーニの手によってデビューするなど、若手デザイナーたちがバチバチな時期だった。
ジウジアーロにすれば、ウェッジシェイプを先駆けたのは俺俺俺、という主張もあったかもしれない。そうしたスーパーカーの檜舞台とされたのが3月頭、スイスの「ジュネーブ・サロン」だったワケで、ここ2年ぐらい開催されなくなってしまったのはストレートに淋しい。
ちなみにイタルデザインがVW傘下になったとき、発表の場に選ばれたのもジュネーブだった。歴史の場はやっぱり大切にされているのだ。
ほとんど宇宙船のような未来的デザイン
というわけで50年前のブーメランをふり返ると、やはりアツいものがある。現代の空力は、柔らかく掴まえて限りなくスムースにボディの中や下をも使って流すのが主流だが、このころはとにかく切り裂く「ウェッジ」(=くさび)であることが求められた。前面投影面積を減らすため、キャビンとルーフもほとんど四角錐状に上に向かって絞られていたのだ。
車高はなんと、立体駐車場に入らない=1550mmオーバーのSUVが当たり前の現代と比べるとびっくりワンダー! な、わずか1070mm。車内で立ったまま着替えがしやすいからファミリーカーはミニバン、みたいな今ドキの小学生には、意味不明の乗降性といえる。
低いウェッジシェイプのコンセプトカーはそれまでにもあったが、ブーメランが時代を画していたのは、ノーズからサイド、リヤにかけて水平に上下を分けるラインの向こうに、キャビン内がほとんどシースルーで見えることだった。マセラティのGTとして、限られた車内空間で広く、さらなるスピード感を強める工夫であると同時に、外から乗員を見せてしまう点に、ほとんどSFめいた新しさすらあった。
「ボーラ」のシャシーで「カウンタック」と同じ低さを実現
それでいてマセラティ・ブーメランのパワートレインは、完全に市販車のそれと一緒だった。挟み角90度のV8・4719ccエンジンをZF製5速MTトランスミッションに組み合わせ、ミドに積むシャシーは「マセラティ・ボーラ」に基づくというか、まったく同じ。ホイールベース2600mmまで同じで、ジウジアーロとしては相当に市販化の期待をかけていたに違いない。
むしろ前年の1971年から生産が始まり最終的には600台弱がラインオフしたボーラを、純粋にデザイン&空力を違えるだけでパフォーマンスを高めた別バージョンと、捉えていた節すらある。しかも先述の1070mmという車高は、奇しくもカウンタックと同一値でもある。
70年代スーパーカーたちの原型というべき美しさ
だがスーパーカーではあるが、スポーツカーというよりGTであり続けるマセラティとして、限られた居住性はネックだった。加えてエンジン屋として、エンジンでない部分でパフォーマンスが向上するであろうストーリーも、プライドが許さなかったのかもしれない。かくしてブーメランは、その特徴や存在理由そのものが、ブーメランとなって、ワンオフのコンセプトで終わってしまった。
だが、その後も「メラク」に「カムシン」、ライバルを見渡せば「ランボルギーニ・ウラッコ」に「デ・トマソ・パンテーラ」、「ロータス・エスプリ」、「デロリアンDMC-12」まで、ウェッジシェイプの市販モデルの居住性は著しく向上した。
あのカウンタックだって市販はブーメラン発表に遅れること2年後の1974年だ。60年代末のウェッジシェイプのコンセプトカーなどと比べると、その進化は明らかだった。だからこそ、マセラティ・ブーメランは次の時代の美を作り出したという意味で、今も鮮烈なのだ。