継続することで認知され多くのファンを獲得することができる
そこで、日本が誇るもう1台のスポーツモデルに注目してみたい。それがマツダ・ロードスター(以下ロードスター)だ。このマツダのオープンカーは世界的に安全基準が高まるなかで、オープン2シーターが発売できるのか? という雰囲気のなかでデビューしたのだが、世間の心配をよそに大ヒットモデルとなった。当時、マツダとしては少し改良を遅らせようとか、生産コストの問題、装備の追加と重量とのバランスなど、開発陣は悩みに悩んだことだろう。だがロードスターを作り続けたことで、ロードスターはマツダの文化となった。つまり継続は力なりである。
またアメリカを代表するスポーツカーとしてコルベットが挙げられるが、欧州や日本勢のクルマに苦しめられながらも、現在でもスポーツカーやスーパーカーがもっとも売れる国だと言われる土壌で熾烈な競争のなか、コルベットの歴史が止まることはなかった。
これはコルベットが、ライバルたちに対してスタイリングが先進的ではなくても格好良く、誰が見てもコルベットとして認知されるスタイリングに大好きというV8エンジンを載せた、不変の歴史と伝統に裏付けされたルックスとスペック、そして走りがあるからだ。
果たして2代目NSXには初代のような志があったのだろうか?
あらためてシンプルにNSXには何が足りなかったのか? と考えると、ひと言で言うならば「歴史」と「物語」だ。GT-Rがスカイライン時代から築き上げた、昭和の時代に日本でもスポーツカーが作れることを証明して見せた。フェアレディZは日本よりも北米のファンが多いと言われるほどの数多くのファンに支持されてきた。もちろん初代NSXもルマン24時間レースなど、国内外のレースで優勝を飾る華々しい歴史があるのだが、世界的規模で見るといささかインパクトに欠ける。とくにHV化された2代目NSXは、スーパーカーの三大巨頭であるフェラーリやポルシェ、ランボルギーニと比較すると、そのキャラクターは弱いと言わざるを得ない。
辛口になるが、2代目NSXには初代と同じ志はあったのだろうかと問いたい。例えば、電動化は時代の要請ではあったが、それをNSXでやるべきことだったのか? と。フェアレディZもコルベットもロードスターもプラスEV(ハイブリッドもしくはプラグインハイブリッド、純粋なバッテリー式の何らかの電動化モデル)ではない。フェラーリはハイブリッドモデルをラインアップしているが、ポルシェは看板モデルの911には電動化モデルの設定はなく、BEVを別モデル(タイカン)で販売している。
それゆえにNSXは、先駆者として電動化に舵を切ったのだろうが、似たようなコンセプトと言えたBMW i8も短命に終わっている。結果論だが、どうせあと数年しかガソリン車に乗れないのだからと、初代NSXを正常進化させた内燃機関搭載の2代目ではダメだったのだろうか? 初代NSXのファンは2代目NSXどう評価したのだろう。奇しくもNSXの車名はNew・Sports・X(未知数)の頭文字となっている。それは新しいことにチャレンジし続けるHondaイズムにも通じている。その志は素晴らしいものではあるが、そこにブランディングやマーケティングが正しく存在したのかが、いささか不明であるのが残念でならない。