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最初は2速だった! いまやプロが操るMTより速く走れる「オートマ」の進化が止まらない

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TEXT: 佐藤幹郎  PHOTO: 島崎七生人/本田技研工業/BMW AG/Auto Messe Web編集部

  • トルクコンバーター式ATの構造

  • トルコンATのカットモデル
  • DSGのカットイラスト
  • 6代目シビックフェリオ
  • 初代トヨタ・クラウンのフロントスタイル
  • 1959年に発表された2速半自動ATのトヨグライド
  • E36型BMW M3のSMG
  • トルクコンバーター式ATの構造
  • 1971年製Sクラスクーペの走り
  • NT450アトラスの走り
  • 現行BMW M3
  • レクサスLC500の走り

急激に多段化するトルコンATの歴史を振り返る

 トルクコンバーター(以下:トルコン)式オートマチックトランスミッション(以下:AT)の多段化が止まらない。かつて2速でスタートしたATは3速、4速の時代が続き、そして5速、6速が登場すると、アッという間に8速や10速ATの時代となっている。そこで、ここまで多段化が進んだ理由を考えてみたい。

世界初の4速トルコンAT車は1939年発売のオールズモビル

 ATの歴史は古く、かねてより北米では普通の装備であった。しかし車速が上がるにつれてギヤの枚数が多い方が幅広い速度域で走りやすいことから、3速や4速のMT車が人気となり、ATも多段化が迫られるようになった。

 そこで1939年にGMのオールズモビルが4速AT車を発売。その途中で現在でも使われているトルコン式ATとなり、北米では当たり前の装備となっていった。日本では北米よりも遅れて1962年ごろにトヨタ(初代クラウン)やマツダ(R360クーペ)がトルコン式ATを採用し、それが他メーカーに拡大。海外の部品メーカーからの購入もあり、多くの乗用車に設定されることになるが、まだ主流とは言えない時代で「ノークラ」「トルコン」などの愛称、もしくは別称で呼ばれていた。初代トヨタ・クラウンのフロントスタイル

 もちろんノークラはクラッチがいらないことから生まれた言葉で、トルコンはトルクコンバーター式を指すのだが、近年のようにロックアップクラッチなどで燃費向上を果たせる機能をATが持っていなかったこともあって、燃費性能はMT車に対してどうしても劣ってしまう。また、変速も現在ほどスムースではないうえに車両価格もMT車と比べて高いことから、“高いお金を払ってATを買う理由が見当たらない”とか“MTを扱えないほど運転が下手なのか?”という風潮もあり、“ATは運転が苦手な人が買うもの”という時代でもあった。

今では見かけなくなったOD付4速ATは6代目クラウンで初採用

 すでにトヨタでは、1959年にトヨグライドの名で日本初のトルコン式ATを発表(1962年製初代クラウンに搭載)していたし、初代シビックにはホンダマチックの名称で2速AT車が用意されていた。日産は3速AT車の3代目セドリックを1971年に発売したが、まだ主流とはならなかった。1959年に発表された2速半自動ATのトヨグライド

 その後、1977年にアイシンAWがトルコンに3速補助変速機部の間にオーバードライブ(以下:OD)機構を設けた世界初のOD付4速ATを開発すると、1981年に電子制御式ATが登場して6代目クラウンに搭載されて認知が広まる。ちなみにODとは、エンジンの回転数よりも出力側の回転数が高い、燃費を向上させるためのギヤ比のことで、峠道などを走る際にはスイッチをオフして走ったほうが、エンジンブレーキが利いて走りやすいため装着されていた機能。現在ではその言葉は半死している。6代目トヨタ・クラウン2ドアハードトップ ロイヤルサルーン

 そして電子制御化にともなってロックアップ機構という、一定速度での走行時に直結させる、トルコンに頼らない機構の採用により、もっと綿密な制御が可能となり燃費も向上。日本でも圧倒的にATが主流となるのである。

 ちなみにトルコンとは日本語では流体の継ぎ手と呼ばれるもので、簡単に言えば扇風機の外側のカバーのような形の箱の中に液体があり、エンジン側からの力を使える扇風機の羽とその反対側に力を受け取る羽があるもの。直接つながってはいないから信号待ちでブレーキを踏んだままでもエンジンが停止(以下:エンスト)しないし、液体が力を伝えるためクリープ現象と呼ばれる、アクセルを踏まなくてもブレーキを放すだけでクルマが少し進む効果が得られる。トルコンATのカットモデル

 加えて、エンジン側の羽がつねに回っているため、走り出したときには羽はそれほど回転してなくても慣性が働いた液体の力は強くて、トルクを増幅させる効果があり、クルマの発進の手助けをしてくれる。

欧州ではMT車信仰が厚く日米に対してAT車は不人気だった

 欧州では、AT車は20世紀の終わりごろまで、身体に障がいのある方のための仕様という風潮も少なからずあり、それだけが理由ではないが、ATはオプション装備扱いだった。それ故にプレミアムサルーンでもMT車が標準というモデルが残っていたほどだ。1980年代まで、日本にて欧州のAT車が故障しやすいといわれていたのは、欧州車がATに熱心ではなかったからで、北米大陸向けのATがあれば良いだろうと、ストップ&ゴーの多い日本の道路事情を考慮していなかったことが挙げられる。欧州でATが完全に主流になるのは、日本よりもじつは遅かったのだ。1971年製Sクラスクーペの走り

 話を日本に戻すと1980年代から一気に存在感が増してきたAT車だが、昔は海外から部品購入していたATが国産となったことで、低価格になり普通の装備となった。ただ、当時はトルコンATが大きなトルクのエンジンに対応するのは難しく、それぞれ適応できるトルクに合わせたトルコンが必要で、高出力エンジンにはAT搭載が難しい時代が続いた。

 推論ではあるが、海外のスーパーカーにAT仕様がなかったのはこれが理由ではないか。例えば大トルクディーゼルが基本の商用車では、1983年にフィンガーコントロールトランスミッション(FCT)が実用化されており、シフトレバーの操作を電気信号と空気圧で変速できるシステムを開発。大型トラックやバスでもスムースに変速操作できるようになっていた。トルコンATにとって大きなトルクは鬼門だったのである。

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