パリサロンで当惑のなか登場した2CV
シトロエンのニューモデル、TPVあらため2CVは終戦から3年経った、1948年の秋に開催されたパリサロンでお披露目されました。世界各国からジャーナリストを集め、時のフランス大統領、ジュール-ヴァンサン・オリオール閣下がアンベールすると、ベールの下から「みにくいアヒルの子」が登場。会場は一瞬白けてしまい、オリオール閣下も当惑の表情を浮かべた、と伝えられています。「みにくいアヒルの子」だったかは意見の分かれるところですが、当時のクルマたちとは異色の風貌だったことは否定できません。
しかし、375ccの空冷フラットツインの最高出力は9psにしかすぎませんでしたが、70km/hの最高速を可能にしていました。価格を抑えるためにボディはスチール製に置き換えられていましたが、キャンバストップを採用し、スチールパネルも波板形状で強度を確保して薄いパネルを使用するなど工夫が施されました。全長と全幅、全高がそれぞれ3780mm×1480mm×1600mmと、決して小さくはないサイズにもかかわらず車両重量は495kgに抑えているのには驚かされます。
ちなみに、コストを低減する一方で、エンジンはヘッドからクランクケースまですべてが軽合金製であり、プッシュロッドを使ったOHVながらロッカーアームを介してバルブがV字型に配置され燃焼室を半球型とするなど、必要に応じては贅を凝らす設計となっていました。要はメリハリを利かせたということでしょう。
サスペンションシステムもユニークでした。基本スタイルはフロントがリーディングアームで、リヤはトレーリングアームで、前後ともに太い1本のアームをコイルスプリングで吊る独立懸架でした。そして、左右それぞれの前後輪がサイドのドアシル下にマウントされた筒の中にあるスプリングによって繋がれた、前後関連懸架となっていました。そしてこれによりスプリングをよりソフトに設定でき、特有の「ネコ足」が誕生したのです。
やがて戦後のフランスを象徴する1台に
最初にデビューしたモデルから最終モデルとなったチャールストンが1990年に生産を終了するまで、40年を超えるモデルライフのなかで、総生産台数は海外生産分も含めて385万5649台と、シトロエン全モデルのなかでもトップの記録を残しています。そして最初の1台から最後の1台まで、基本的なシルエットとメカニズムは不変でした。
「みにくいアヒルの子」は結局、最後まで「みにくいアヒルの子」だったということですが、このフレーズは決して2CVをこき下ろす意味で使われることはありませんでした。少しユーモアを交えながらたっぷりの愛情を注ぐために使われたフレーズでした。
そう言えば、映画『007 ユア・アイズ・オンリー』では本来のボンドカーだったロータス・エスプリは早々に爆破されたのに、2CVはロジャー・ムーア扮するジェームズ・ボンドが美女を助手席に乗せ、追手のプジョー504とカーチェイスを演じたこともありました。それも皆に愛された2CVならばこそ。出会いは一度きり、短い試乗でしたが「ネコ足」の感覚は今も忘れられません。