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徐々にスペシャル感が薄れ消滅! センチュリーの対抗馬だった「プレジデント」の残念すぎる歴史

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

専用デザインを採用した3代目

 1965年に初代が登場し、事実上の初代がベースの改良版だった2代目まで25年の役割をまっとうしたプレジデントは、1990年に3代目に切り替わった。そう来たかぁ……と思わせられたのは、前年の1989年11月に登場したばかりだったインフィニティQ45のいわばストレッチ版として登場したことで(開発主管も同じだった)、グリルレスだったQ45にフォーマルサルーンらしいフロントグリル付きのマスクが与えられるなどしてデザインを専用化。日産プレジデント

 2代目に対しホイールベースを180mm伸ばして3030mmとし、リヤの居住性が一層高められた。シートにはコノリーレザー(オプション)やシルクウール(花柄紋様絹糸織り込みウール)仕様を設定。サスペンションは4輪マルチリンク式油圧アクティブサスペンションを標準としていた。日産プレジデント

 さらに1992年になると、ホイールベースをインフィニティQ45と共通の2880mmとしたプレジデントJSを追加設定。このモデルはBBSホイールを用意するなどして、パーソナルユースを意識した設定だった。話がややこしいがインフィニティQ45の初代最終型(2代目はシーマと統合された)は、1993年のマイナーチェンジを機にプレジデントとは別となる、よりスリムなデザインのフロントグリルとヘッドライトが与えられている。日産プレジデント

シーマ(4代目)と事実上共通のモデルだった4代目プレジデント

 そしてプレジデントは2003年にフルモデルチェンジとなり4代目に進化。このモデルは2001年に登場した4代目シーマと事実上共通のモデルで、ホイールベース(2870mm)なども同じだった。ただしエンジンはV8の4.5Lのみの設定とし、後席をセパレート化した4人乗りも用意するなどしていた。エレガントな方向性のフロントグリル、ボディ側のみに置いたテールランプなどは専用デザインだった。この4代目プレジデントは2010年までで役割を果たし終えた。

 そしてまたもややこしいが、2009年に登場した2代目フーガのロングホイールベース版であるインフィニティM35hLの日産車版として、2010年から間を空けて2012年に復活した5代目シーマが、事実上のそれまでのプレジデントの後任となった。安定のトヨタ・センチュリーとは対照的な道を辿ったクルマだ。日産プレジデント

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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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