三菱の技術が凝縮された1台だった
三菱自動車のスポーツモデルというと、4WDターボのランエボシリーズのイメージが強い。だが、1980年代には大きなポテンシャルを秘めたFRのスポーツカーを作っていた。それが今年デビュー40周年を迎えるスタリオンだ。
ギャランΣ/エテルナΣのプラットフォームを流用し、当時三菱と提携していたアメリカのクライスラー・ブランドで販売することを念頭に、アメリカ人好みの角張ったガンダム風のボディを乗せている。名前のスタリオンは映画ロッキーでおなじみの「イタリアン スタリオン」(イタリアの“種馬”)を連想するかもしれないが、「ヘラクレスの愛馬、アリオンが今、星(スター)になって帰ってきた」という意味が込められたキャッチコピーが与えられていた。
三菱最後の後輪駆動車がスタリオンだった
精悍な顔つきのボディは前投影面積が小さく、空力的には有利で、ボディサイズもコンパクトかつ軽量。4気筒縦置きエンジンのFRで前後の重量バランスも悪くなく、同じFRスポーツのポルシェ924ターボが開発時の仮想ライバルだったと言われている。ちなみに軽自動車以外では、三菱最後の後輪駆動車がこのスタリオンだ。
エンジンは2リッター直4のSOHCターボのシリウスG63Bターボを搭載していた。最高出力は145psと正直たいした数字ではなかったが、85×88のロングストローク型エンジンに三菱製のターボチャージャーの組み合わせで、トルクは大きく(22.0kg-m)てツキが良く、ドライバビリティに優れたエンジンだった。ランエボの4G63エンジンもトルク型エンジンとして知られているが、スタリオンのころから三菱のパワーユニットはトルク型で実践的な設計が魅力だ。
モータースポーツでも活躍したスタリオン
スタリオンのポテンシャルに注目したイギリスのチームが、グループAカテゴリーで争われるBTCC英国ツーリングカー選手権にスタリオンで参戦し優勝、シリーズ4位と活躍した。日本では、1985年の第1回インターTECからレース活動を開始。エースドライバーには、日産ワークスの顔でもあり、先日逝去された名手髙橋国光が選ばれ、スタリオンのハンドルを託された。
そのレースでスタリオンは、国産ツーリングカーの王者であるスカイラインを下し、予選では髙橋国光が2台の“フライングブリック”ボルボ240Tに続く3位。決勝でも中谷明彦が国産勢最上位の4位に入賞している。翌1986年のJTCには、髙橋国光・中谷明彦のコンビで出場し、第2戦でポールポジション、第3戦筑波で初優勝。インターTECの予選ではジャガーワークスのXSJに次ぐ2位を記録し、1987年は開幕2連勝も達成している。
スタリオンのレース用エンジンはHKSがチューニングを行っていたが、改造範囲の限られるグループAで、シングルカム3バルブのスタリオンのエンジンはどうしても不利……。ストレートではツインカム4バルブのスカイラインなどライバル勢に後れをとったが、コーナリングでは引けをとらず、テクニカルな筑波サーキット、西日本サーキット、西仙台ハイランドで優勝を収めている。
髙橋国光は2シーズン12戦をスタリオンで戦ったあと、1992年からR32GT-RでグループAに復帰。ハコスカ以来20年ぶりにGT-Rをドライビングし、ファンを湧かせた。その髙橋国光も「三菱スタリオンで戦ったのは自分の人生のなかでとても大きなものになっている」と語っている。
また、このスタリオンのレースからプロドライバーに転向した中谷明彦は、その後F3000やグループCで活躍するトップドライバーになっていったのはご存じの通り。
モータースポーツ以外では、映画「キャノンボール2」に、ジャッキーチェンとリチャード・キールの愛車として登場。007シリーズのボンドカー並のハイテク装備で話題に。また石原軍団総出演の刑事ドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」に登場したガルウイングドア仕様のスタリオンは、5台限定で市販化された。