フェルディナント・ポルシェ博士の孫が開発に関わっていた
世界ラリー選手権(WRC)では、車両規則が数年おきに変わってきましたが、1980年代以降は4WD、つまり4輪駆動が必須となっています。その先駆けとなったのは1980年に登場したアウディ・クワトロでした。今回は4輪駆動で革命を起こし、無敵の強さを誇ったアウディ・クワトロを振り返ります。
オフロードのための4WDではなくハイスピードのためのスポーツ4駆だった
WRCにおいて4輪駆動の先駆けとなったのがアウディ・クワトロと書きましたが、これにはちょっと注釈が必要です。確かに大きな流れをつくったのはアウディ・クワトロでしたが、WRCに最初に4WDを持ち込んだのはわがスバルでした。1980年のサファリ・ラリーに2台のレオーネ・スイングバック1600・4WDが登場。安全装備以外、ほとんどの改造が許されないグループ1車輌での参戦でした。1台は惜しくもリタイアに終わりましたが、平林 武組がクラス優勝し総合18位につける大活躍で、スバルには大きな一歩となりました。
ということでアウディ・クワトロに話を戻しましょう。アウディのクワトロ、と4輪駆動車をひと括りで表すこともありますが、そのトップバッターは1980年の春にジュネーブショーでお披露目された初代モデルのアウディ・クワトロでした。
ボディはアウディ80をベースにブリスターフェンダーや前後スポイラーを組み込んだスポーティな2ドアクーペを仕立て上げていました。トップモデルだった200用の2144ccSOHCターボの直列5気筒エンジンに、インタークーラーを装着して搭載。
アウディとして初の5気筒エンジンを搭載した100では136psを発生していましたが、アウディ初のターボを装着した200では170psにパワーアップ。さらにインタークーラーを装着したことで、クワトロでは200psの大台に乗っていました。
エンジンのハイパワー化にも目を見張るものがありましたが、さらに見逃せないのが駆動レイアウトでした。1965年に登場したアウトウニオン・アウディ以来、エンジンを縦置きにした前輪駆動の基本コンセプトをずっと踏襲してきたアウディ。この世代のアウディ80/100/200も直列4気筒/5気筒エンジンをフロントに縦置きに搭載して、前輪を駆動するレイアウトとなっていました。
そしてクワトロでは、縦置き搭載されたエンジン/ミッションの後方にマウントしていたデフにトランスファー(トルク分配装置)を組み込み、新たにプロペラシャフトとリヤデフ&アクスルを採用したことで4輪駆動化していたのです。
これはスバルも同様ですが、エンジンを縦置きしていたことで、4輪駆動化が容易だった点も見逃せません。4輪駆動というと、それまでは悪路の走破性が最大のメリットとされてきましたが、アウディが目指したのは高速走行時のスタビリティの高さからくる安全性でした。そしてそれ以降、スポーツ4駆という考えが広く定着してきました。