いまなおファンが多い1台
スポーツカーメーカーのポルシェは、市販モデルと、その発展モデルを数多くレースに参加させてきました。その頂点とも言うべきモデルの好例が935でした。「タミヤのプラモデルが懐かしい」と思うおじさん世代だけでなく、935には幅広い年代に多くのファンがいるようです。今回は、そんなポルシェ935を振り返ります。
※写真のタミヤのプラモデルは現在、生産・販売していません。
930ターボから発展していった934・935・936
国際メーカー選手権と銘打った1960年代の終盤から1970年代の初めにかけてのスポーツカー世界選手権を、4.5Lの180度V12を搭載した917で戦ってきたポルシェ。1970年には悲願だったル・マン24時間レースの総合優勝を飾るとともに、翌1971年も連勝しています。
このポルシェの圧倒的な強さを排除するためか、1972年からは世界メーカー選手権と名を変え、エンジン排気量が3L以下でオープンシーターのプロトタイプによってシリーズが戦われることになりました。この変更を受けてポルシェは、911シリーズを使ってのGTクラスへの参戦は継続したものの、917を使ったワークス活動は北米に転身し、排気量無制限の戦いとなっていたCan-Amシリーズに参戦することになりました。
そしてそのCan-Amシリーズで、大排気量のアメリカンV8勢と戦いながらターボチャージャーの技術を磨くことになりました。こうして熟成された技術を市販モデルに応用して登場したのが、1973年のフランクフルトショーでプロトタイプがお披露目され、2年後の75年春から市販が開始されたポルシェ911ターボ、通称“930”ターボでした。1974年型911RS 3.0に搭載されていた3Lの水平対向6気筒にKKK製のターボを装着し、最高出力は230psから260psにまでパワーアップされていました。
一方、3L以下でオープンシーターのプロトタイプが主役となっていた世界メーカー選手権は、またしても規則を変更。1976年からは市販車に大幅な改造を加えたグループ5、いわゆる“シルエットフォーミュラ”によって戦われることになりそうな空気を察知したポルシェは、911カレラRSRをベースにターボ・エンジンを搭載した911カレラRSRターボを開発。
1974年のル・マン24時間では3Lでオープンシーターのプロトタイプ、マトラ・シムカMS670Bに次いで総合2位入賞を果たしています。先を的確に読み手早く仕事をするポルシェならではの経緯ですが、こうしてグループ5仕様の935が誕生することになりました。
このネーミングはもうお分かりのように、930をベースにしたグループ5なので935と命名されたのですが、同じころに934と936も誕生しています。これらも同様に、930をベースとしたグループ4とグループ6なのでこう命名されていました。
ちなみにポルシェ911はもともと、2シーターのスポーツカーでグループ4に分類される車両ですが、新たに登場した934は、グループ5として935のホモロゲーション(車両公認)を取得するためのベースモデル。同じグループ4とはいっても、その存在意義は大きく異なっていました。この934と936に関しては、また別の機会にあらためて振り返ることにして、今回は935をもう少し掘り下げて紹介していくことにしようと思います。
1976年に登場してから77年・78年と進化し続けた935
1976年にデビューした935は、1977年、1978年と毎年のように進化を続けていきました。エンジンだけ見ても、1976年モデルでは2857cc(ボアとストロークは92.8mmφ×70.4mm)から590psを発生していたものが、1977年モデルでは同排気量のまま630psにパワーアップされました。
さらに最終仕様となった1978年モデルでは排気量も3211cc(95.7mmφ×74.4mm)に引き上げられ、最高出力845psを捻り出していました。ベースとなった930ターボの930/72ユニットは2993cc(95.0mmφ×70.4mm)でしたが、ターボを装着することでターボ係数(当時は1.4)が掛けられるから、2993ccのままだと約4.2Lとなり車両重量が1025kg以上となります。
そこで2857ccと縮小したことで4L以下のクラスに編入され、最低重量も970kgまで引き下げられたのです。ご存じのようにこれはスカイラインGT-Rなどでもお馴染みの手法でした。最高速度もオリジナルの340km/hから最終仕様では366km/hにまで引き上げられていましたが、この数字はエンジンパワーだけでなくボディの空力処理の効果の方がより大きな結果を生んでいると考えられます。
その空力パーツについて触れる前に、ボディ構成についても触れておく必要があります。935はグループ5の公式に則って……というよりも935が先鞭をつけたので、こちらがそのまま公式になったというべきです。キャビン周りのモノコックを活かしながら、前後に鋼管スペース式のサブフレームを構築し、ロードゴーイング(ベースモデル)のシルエットを持ったエアロカウルに交換していました。ということでそのエアロカウルについても少し詳しく紹介していきましょう。
レーシングプロトタイプよりも速かった935モビーディック
1976年に登場した初代モデルは当初からヘッドライトをバンパースポイラーに組み込んだ、いわゆるフラットノーズを採用していました。レギュレーション的にはOKだったのですが、レギュレーションの精神に反する、としてポルシェが自ら、911でも特徴的なルックスとなっている高い位置にヘッドライトを持ち上げたノーズに変更してシリーズ第2戦と第3戦に出走します。
ただし、意外にもライバルは手強く、第4戦からはフラットノーズに再度変更してシーズンを戦っています。1977年シーズンに向けてはリヤウイングやフロントノーズなどエアロカウルが手直しされていましたが、それでも1976年モデルの正常進化の域を超えるものではありませんでした。
しかし、結果的にシリーズの最終モデル、935の集大成となる1978年モデルではエアロパネルが一新されています。“モビーディック”のニックネームも納得の、低く長いボディに生まれ変わっていました。
これはレギュレーション変更があったためで、モータースポーツを司る国際自動車スポーツ連盟(FISA。FIAの下部組織で、1993年に現在のモータースポーツ評議会に業務を移行して解散)としては、レギュレーションを緩和することでポルシェ以外の参加者を招き入れるとともに、健闘してきたライバル競技車両のポテンシャルを引き上げる狙いもあったようでした。ですが、新たなレギュレーションでは当のポルシェが大きくポテンシャルを引き上げることになり、その思惑は実現することがありませんでした。
それはともかく、935/78“モビーディック”の最高速366km/hというのは兄弟モデルとも言うべき936(グループ6)のレーシングプロトタイプよりも速く、実際に“モビーディック”はル・マンの、当時6kmもあったストレートで936を抜き去ったということです。
ドイツの国内選手権では2L以下のクラスが設けられていましたが、そこに参戦するためにポルシェでは、排気量を1425cc(71.0mmφ×60mm)まで縮小した935-2.0クーペ、通称“Baby”もリリース。935/77との大きな違いはオイルクーラーがフロントノーズからリアフェンダーへと移設されていて、そのためにノーズのインテークがパネルで塞がれMARTINI PORSCHEのロゴが記されていること。2戦に出走し、1勝を挙げています。