空冷のRRから水冷のFFに180度転換したVW
歴史的な傑作車、そして世界的なロングセラー車となった「フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)」の後継モデルとして登場した「ゴルフ」。現在までに8つの世代を重ね、今も世界のトップセラーとしてその名を轟かせています。今回はそんなゴルフが、タイプ1からバトンを受け取ったあたりのシーンを振り返って見ることにしましょう。
「ビートル」が売れすぎたために後継の開発は四苦八苦
まだ第二次大戦の開戦前だった1938年に生産が開始されたフォルクスワーゲン・タイプ1、通称「ビートル」は、終戦後には本格的な量産が始まりメキシコ工場での生産が終了したのは2003年。ドイツ国内の主力工場だったヴォルフスブルグ工場での生産も1978年まで続けられる「超」ロングセラーとなりました。
基本設計を変えないままでの累計生産台数は、それまでトップの座にいた「フォードT型」の記録を1972年に更新。最終的には総生産台数は2153万9464台となり、4輪乗用車としての単一モデル最多量産記録としてはおそらく今後も破られることがないであろう大記録を打ち立てています。ちなみに、4輪乗用車からすべての乗り物に枠を広げても、ホンダの「スーパーカブ」(2017年には1億台を突破していて、現在も生産中)に次ぐ2番目の記録となっています。
それだけの大記録を打ち立てた傑作車といえども、技術が日々進化しているなかでは、陳腐化を免れることはできません。電気系を6Vから一般的な12Vに変更したり、フロントサスペンションをストラット式に交換したりしましたが、やはり時代の流れに逆らうことはできませんでした。
そこでこうしたタイプ1の近代化に並行して、水面下では次期モデルの開発が着実に進んでいくことになりました。当時としての最先端技術に関する先行開発も続けられていました。これはドイツ北部のハンブルグにある自動車博物館「プロトタイプ・コレクション」で撮影したものですが、ファイバーグラスを使って軽量化を追求するような実験車両も存在。感性よりも理論で完璧を目指すゲルマンらしいエピソードだと思いました。
「タイプ3」や「タイプ4」は決定打にならず
後継モデルの候補に挙がったものはいくつもありました。1961年に登場した「フォルクスワーゲン1500」、いわゆる「タイプ3」も、広義にはビートルの後継とも考えられます。ですが、2ドアセダンと2ドアのファストバッククーペ、そしてリヤにゲートを設けた3ドアワゴンのバリアントと、ビートルにない車型を持った、派生モデルと考えるのが一般的でしょう。
同様に、1968年に登場したフォルクスワーゲン411/412、いわゆる「タイプ4」も、初の4ドアセダンをラインアップ。モノコックボディやフロントのストラット式サスペンションなど、同社初のメカニズムを数多く採用していましたが、肝心要、パッケージの基本となる空冷の水平対向4気筒エンジンをリヤに搭載するところはビートルの手法を継承していました。水冷の直列エンジンをフロントに横置きに搭載して前輪を駆動するという、モダンなコンパクトカーの基本レイアウトとは一線を画したものだったのです。
もちろん、ポルシェ博士が設計開発したビートルの空冷エンジンやリヤエンジンを否定するものではありません。ですが、その時代背景として、例えば不凍液が登場する以前で、冷却水の凍結を心配する必要があったり、効率的な等速ジョイントが完成する以前でコンパクトなサイズのなかで居住空間を稼ぎ出すためにはリヤエンジン・リヤドライブがもっとも効果的だったことは否定できません。
しかし、周辺技術も進んできた結果、また大きな社会問題となっていた排気ガスによる大気汚染を考えていくと、コンパクトカーを設計開発するうえで水冷エンジンをフロントに横置きマウントし、前輪を駆動することは絶対的な条件となりました。