いくつものプロトタイプが製作され試行錯誤
フォルクスワーゲンとして初めて水冷エンジンを搭載したのは、1970年に登場した「K70」でした。もっともこれは、その前年にフォルクスワーゲンが買収によって傘下に収めた「NSU」が用意していたモデルで、ロータリーエンジンを搭載した「Ro80」のレシプロエンジン版でした。そして予想通りと言うべきか、ビートルの後継問題を解決することはできませんでした。
フォルクスワーゲンではさまざまな手を打ちながら後継モデルを考えていました。ポルシェに開発を依頼した「EA266」もそのひとつ。ポルシェ博士が設計開発したビートルの後継は、博士の技術を継承するポルシェに、ということでしょうか。
実際に開発を手掛けたのは博士の孫であるフェルディナント・ピエヒでした。驚くべきは水冷の直4エンジンを横に倒してリヤシートの下にマウント、後輪を駆動するというMR(ミッドエンジンの後輪駆動)というパッケージ。ピエヒのセンスとポルシェの底力によって熟成は進み、あと一歩で量産か、というところまで進んだものの、さらなる開発コストと生産コストが高すぎると判断され、生産に移されることは叶いませんでした。
ちなみに、ホンダでも同様のパッケージが開発スタッフのまな板に載ったことがありました。次世代のコンパクトカーとしてのアイデアはボツになりましたが、そこから初代NSXが誕生したのは有名なエピソードです。当然といえば当然かもしれませんが、優れたエンジニアは、洋の東西やメーカーの違いに関係なく、似たようなアイデアを生みだすものなんですね。
また興味深いモデルで「EA276」と呼ばれるプロトタイプも存在。こちらはのちのゴルフに通じる前輪駆動の2ドアハッチバックでしたが、エンジンにはビートルと同様の空冷フラット4エンジンが搭載されていました。
「パサート」と「シロッコ」が露払い役
そうこうするうちに水冷直4エンジンをフロントに横置き搭載し、前輪を駆動するプロトタイプも登場してきました。最初に登場したのは1973年に登場する「パサート」のプロトタイプで、当時開発の最終段階にあった「アウディ80」(初代モデル)をベースに3/5ドアハッチバックとバリアントに展開させるもので「EA272」を名乗っていました。
初代のアウディ80がベースだったことから、これは直4エンジンを縦置きに搭載してましたが、水冷エンジンの第3弾となったのがエンジンを初めて横置きマウントした「シロッコ」でした。こちらはアウディとは無関係にフォルクスワーゲンの内部で設計開発が進められたモデル。立ち位置としては「カルマンギア」の直系にあたるモデルですが、パッケージは一新し、デザインもパサートと同様にイタルデザインを設立したジョルジェット・ジウジアーロが手掛けていました。そう、パサートとシロッコは、横綱たるゴルフが登場する前の露払いを演じていたのです。
ようやく誕生した初代ゴルフは次々とファミリーを拡大
そして「2ボックス3/5ドアハッチバックのコンパクトなボディのフロントに、水冷の直4エンジンを横置き搭載し、前輪を駆動する」というコンセプトで、コンパクトカーの王道となるゴルフが1974年に登場することになりました。2ボックス3/5ドアハッチバックのお尻にトランクを追加した3ボックスセダンや、強力なエンジンにコンバートしてハイパフォーマンスをウリにする「ホットハッチ」など、バリエーションを増やしていったのも、後続する世界中の各モデルが倣った手法でした。
残念ながらモデルチェンジを繰り返す度にボディとエンジンがサイズアップし、その結果としてよりコンパクトな……ご先祖様と同サイズ同排気量の別モデルが登場する愚を繰り返してきたのは残念なところですが、サイズアップが許容範囲であるのはフロンティアとしての矜持でしょうか。いずれにして歴代のゴルフが、世界のコンパクトカーのベンチマークを務めてきたのは紛れもない事実。今後も健全な発展と進化を期待したいところです。