よく動く足でオフロード車としても優秀だった
だが取材当日、高速周回路や特別に設定されたオフロードコースで試乗して、舌を巻いた。身軽にどこでも安心・快適に走れるクルマだったことが、一瞬でわかったからだった。ホイールベースは2200mmと奇しくも当時の「スズキ・エスクード」、「ラーダ・ニーヴァ」と同一だったようだが、全幅は1695mmとこの3車中もっともワイドで、そのことが高速走行時の安定感、快適性に寄与していた。
併せて驚かされたのがオフロード性能の高さだった。そのときの試乗コースは、クルマの目の前を突然キジが横切るような、ほぼ自然そのままの場所。しかし初代RAV4はギャップをモノともせず、ボディをミシリとも言わせずに走りきったのだった。歩くような速度でも自在なアクセルワークが可能なことはオフロード車の命だが、それもOK。軽快で、想像以上にサスペンションをストロークさせながらのオフロードの走りを披露して見せたのだった。
サスペンションはフロントがマクファーソンストラット式、リヤは新開発だったトレーリングアーム付きのダブルウイッシュボーンとした4輪独立、最低地上高は205mmを確保していた。それとエンジンは、最近の感覚からすれば意外だが、2L(3S-FE型)の余裕ある排気量が選ばれていた。
世界累計販売台数1000万台を超える金看板に
なお当初のRAV4は、販売店ごとに正確にいうと、「RAV4 L」と「RAV4 J」の2車が用意されたが、ラインアップ、バリエーションは共通だった。さらに当初のCMにはキムタク(木村拓也)が起用されていたようだったが、彼について疎い(興味が薄い)筆者は、そのことの記憶はほとんどない。
また初代登場の11カ月後、1995年4月になると、ロングホイールベース/5ドア版の「RAV4 V(ファイブ)」が設定された。ホイールベースを3ドアに対し210mm伸ばした2410mmとし、5名乗車を可能にしたゆとりのある後席と409~645Lのラゲッジスペースをもち、より幅広い用途にかなうモデルとして設定。こちらも手堅い完成度から、当初からの3ドア以上の人気を集めた。なおこの時代のSUVなのでまだスペアタイヤはバックドアにキャリアで背負う形で、バックドアは向かって右側にヒンジがあり左側のハンドルを引いて操作する横開きを採用していた。
RAV4はその後も2代目(2000年)、3代目(2005年)が日本市場に投入された。けれどRAV4といったら、やはり初代の姿が真っ先に思い浮かぶ。アーバンでカジュアルでパーソナルなSUVの新ジャンルを開拓したモデルだった。