とても画期的だった小型ファミリーカー
自動車雑誌に限らず、昔から“和製○○”といった表現をしばしば見かける。その流れに則して言うと“和製(ほぼ)ルノー・エクスプレス”といったところか……と実車を見てそう思った。1代限りで終わったトヨタ・ファンカーゴの話に入る前にあらためておくと、1999年1月に日本市場で発売した、初代ヴィッツの派生車として同年8月に発売された。
さらに2000年2月になると、同年1月の東京オートサロンのショーアップ用に多数のショップが同時多発的にカスタマイズカーを出展できるよう、そのベース車として配ったbBの“標準車”が発売に。もう1台、ヴィッツの4ドアノッチバックセダン版のプラッツもあった。要するにヴィッツを中心に同じプラットフォームから個性の異なる4車種が誕生し、そのなかの1台がファンカーゴだった。
ちなみにヴィッツの最初は1997年のフランクフルトショーでショーモデルが登場、そのときのショーモデル名は“ファンタイム”とし、同年の東京モーターショーにも出品。このときにファンカーゴもコンセプトモデルとして登場していた。
なお、bB(初代)は若者狙いの打ち出しで見えにくくなっていたが、よく見れば、じつは2500mmのロングホイールベース&ロングキャビンのシンプルなスタイルに好感がもてる実用車でもあった。乗り味は、やや締め上げられたセッティングで、着座位置も見晴らし感覚の高さという訳ではなかったが、スッキリと広い室内スペースはシートアレンジも多彩にできるなど、使い方次第で価値の高さが実感できるコンパクト多目的車だった。
実用性を形にした個性豊かなスタイリング
そのbBと共通の2500mmのホイールベースを持つファンカーゴは、くだけて言うと“何気に画期的な小型ファミリーカー”だった。欧州市場にバンの位置づけの“ヤリス・ヴァーソ”として投入しただけあり、言い訳なしの実用性を備え、それを形にした個性豊かなスタイリングがこのクルマの魅力の根源だった。
初期のカタログは決してページ数の多いものではなかったが、写真のように紙のフォルダに“本編”と“アクセサリー編”を分けて挟み込んだものとなっていた。本編のほうは、どこかの風景写真など使わず、ひたすら実車の機能説明がが続く。
一方でアクセサリー編は、かなりの数のアイテムを用途別に分類。一応ページごとに殺風景とならないよう、実際の使い方がわかるシーンやカットが載せられているが、キリヌキの人物写真は背景の風景から浮いている(!)ような、ラフというか肩のチカラの抜けた写真が使われている。これらは、ファンカーゴらしいくカジュアルなムードを盛り上げるためだったのかもしれない。
収納スペースだけで37箇所もあった!
実車は1680mm(または1660mm)と全高を高くとり、理屈抜きで使いやすいクルマに仕上げられていた。後席の折り畳みは、背もたれを前倒ししながら前席の下に潜り込ませるように沈ませ、ラゲッジ部分のフロアと低くフラットに繋がるスペースを作り出すことができた。
欧州ピープルムーバーのように後席は3座/3分割式で、中央席を外して周席に座るようなパターンも可能に。ラゲッジスペースにはユーティリティバーが用意され、このバーをトリム左右間に渡してかけて、その上にパッケージトレイを乗せれば、ラゲッジスペースが上下2段に使えるようにもなっていた。バックドアは大多数のクルマが採用するハネ上げ式ではなく横開きを採用。開く角度も、全開、半開、4分の1開と3段階にノッチがつき、実際の使いやすさに配慮されていた。
そのほかに“収納”も豊富で、何と37箇所も用意されていた。例えばドアなら、通常のドアポケットのほか、アームレスト部の凹みもポケットにしているといった具合だ。インパネには、上下2段のグローブボックスを備えたほか、センターコンソールの左右、ステアリングコラム右手のアンダーポケット、サイドシル部にもポケットを設定。後席床下、前席頭上のシェルフなど、ありとあらゆる場所が収納だらけ……そんな風だった。
外観は4ドア+バックドアの、分類上で言えば5ドア。後席用のドアは、型にはまったようなスライドドアではなかった。だが、これまで触れてきたようなスペースユーティリティと便利な装備類が充実していたことで、ファミリーユースにまさしくピッタリ。しかも普通の2ボックスタイプ、ミニバンとは違う個性的なスタイリングで、ファンカーゴというクルマの存在感を主張していたのだった。
トヨタ車のコンパクト系実用多目的車としては、その後もラウム、シエンタ、ポルテといったモデルが登場。ファンカーゴと同様に日常使いにピッタリなモデルとして多くのユーザーに愛されている。その中でファンカーゴは、欧州市場でも通用した機能性の高さが自慢のクルマだった。