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平凡な4ドアセダンだったはずの「プリメーラ」が後世に語り継がれる名車になったワケ

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/日産自動車/Auto Messe Web編集部

ハイパフォーマンスなスポーティセダンだったプリメーラ

 プリメーラは、1989年の東京モーターショーに「PRIMERA-X」の名でコンセプトカーとして出展されたのち、90年の2月にデビューしています。当時の日産車の多くが採用していたプレスドアを持つ4ドアセダンで、サイズ的にも重量的にもブルーバードとサニーの中間に位置していました。搭載されるエンジンはSR型の1.8Lのシングルカム&ツインカムと2Lのツインカムで、ブルーバードの最上級モデルが2Lのツインカム・ターボを搭載していたのを除けばブルーバードとプリメーラはオーバーラップしていました。

 ちなみにサニーは、最上級モデルにSR型の1.8Lツインカムを搭載していましたが、主力はGA型の1.5L~1.6Lの直4ツインカムでしたから、こちらはほぼオーバーラップしていませんでした。

初代P10型プリメーラの1995年製Tm-Sセレクション

 サスペンション形式で見ていくと、ブルーバードやサニーが4輪ストラット(リヤはパラレルリンク式)だったのに対して、プリメーラはリヤのパラレルリンク式ストラットは同様だったものの、フロントにはマルチリンク式が奢られていました。つまり基本的なパッケージングやスペックを見ただけでも、プリメーラは高いパフォーマンスを持ったスポーティセダン、ということが分かると思います。

 ただし、サスペンションの味付けが固すぎると厳しい評価が下されてしまいます。クルマの基本コンセプトを、適度にコンパクトなスポーティセダンと割り切ったなら、そのままブレずに行けばいいものを、とお気楽なクルマ好きは考えるのですが、大メーカーとなるとそうも言ってられないのでしょう。マイナーチェンジの度にソフト方向にシフトされていくことになりました。その反面で「ヨーロッパ車のような」という惹句で売り続けていたのですから何をかいわんや、です。まあ大メーカーの論理はお気楽なクルマ好きには理解不可能、としておきましょう。

初代P10型プリメーラの1995年製Tm-Sセレクション

2代目はキープコンセプト、3代目で大型化

 もうひとつ、プリメーラの立ち位置が明確でなかったのはその系図。バブル期を迎えたところで販売チャネルのマルチ化が進んだこともあって、兄弟車が増えてきたことにも一因があるのですが、プリメーラの前身は「オースター」と「スタンザ」、とされています。さらにプリメーラ自体も、1995年のモデルチェンジで登場したP11型ではキープコンセプト。一見しただけでは従来モデルかニューモデルか分かりにくいほどのキープコンセプトぶりでしたが、2001年の2回目のモデルチェンジではスタイルだけでなくコンセプトも変わってしまいました。

1995年に2代目P11型にモデルチェンジ、写真は欧州仕様

 こうなると、クルマ好きに愛され、今でも人気の高い初代と2代目プリメーラと、3代目プリメーラはまったく別物。同一線上で語ることは出来なくなってしまいました。これはもうクルマ自体の責任ではありません。誤解のないように言い訳をするなら、3代目プリメーラの出来が悪いと言っているのでは決してありません。エンジニアの皆さんが、一生懸命考えて造り出したものだけに、駄作であるはずがありません。それは試乗会でチョイ乗りしただけでも十分に納得できるものがありました。

 ただ、プリメーラを名乗るならば、2代目から3代目への変身、とくに3ナンバーボディの採用は、なかったんじゃないか。いちファンとしてはそう思っています。ツーリングカーレースの様変わりもありましたが、初代モデルと2代目は2L級の4ドアセダンをベースにしたニューツーリングカーのレースで活躍していましたが、3代目は参戦することもありませんでした。

2001年からの3代目P12型プリメーラ

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  • この時代の日産の技術が結集したR32型スカイラインGT-R
  • プリメーラはツーリングカーレースシーンでも大活躍した
  • 初代P10型プリメーラの1995年製Tm-Sセレクション
  • 初代P10型プリメーラの1995年製Tm-Sセレクション
  • 1995年に2代目P11型にモデルチェンジ、写真は欧州仕様
  • 2001年からの3代目P12型プリメーラ
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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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