レースでも活躍していた3.0SCL
エキゾチックなイタリア製のスーパーカーに対して、落ち着いたなかにもインテリジェント感の漂うゲルマン・メイドのスーパーカーがBMWの3.0CSLです。サーキットの狼には隼人ピーターソンの愛車として登場。懐かしさを感じるオジサン世代もいるはずです。今回は、そんなBMW3.0CSLを振り返ります。
戦後も大型車から再スタートしたBMW
第一次大戦前の1916年に設立されたBMWは、Bayerische Motoren Werke AG(独語でバイエルン発動機製造株式会社の意)のフルネームが示すように、エンジンメーカーとして発展してきました。そして28年には念願だった4輪車の生産を始めています。
第二次大戦でドイツは再び敗戦国となり、戦後、BMWまたイチから出直しとなりました。こうした場合、通常は2輪車とか小型車からスタートするのですが、BMWはいきなり大型車の501で再スタートを切っています。
大型車といっても2Lの直6エンジンでしたから、最近の大型車に比べると可愛いものでした。やはり時期尚早だったようで、営業的には厳しい数字しか残っていません。そんなBMWは、イセッタのライセンス生産で糊口を凌いでいました。イセッタの販売が軌道に乗り、その発展モデルの600、700をリリースすることになったのです。
ここまでが言うならばホップとステップで、さらにその次の一手、文字通りのジャンプとなったのが1961年のフランクフルトショーで発表した1500。いわゆるノイエクラッセ(Neue Klasse=独。新しいクラスの意)のトップバッターによって、その繁栄は揺るぎないものになりました。
1500はやがて1800、2000とモデルラインを充実させ、4ドアセダンだけでなく02シリーズと呼ばれる2ドアセダンもラインアップしていきます。ちなみに、2000の2ドアモデル、2002にヨーロッパで初となるターボモデルが登場します。2002ターボ、愛称“マルニ・ターボ”についてはまた機会を改めて紹介することにします。
さて、ノイエクラッセの上級モデルとなる大型車、E3のコードネームを持つ4ドアリムジーネが1968年に登場します。そして1970年代後半にはノイエクラッセが5シリーズに、02シリーズは3シリーズに、さらにE3リムジーネが7シリーズへと発展していくことになります。
そこで気になるのが2ドアクーペの6シリーズですが、その前身となったモデルが今回のメインテーマ、BMW3.0CSLをトップモデルとしてE9のコードネームを持つ2ドアクーペシリーズでした。それにしても、戦後の国民生活が厳しい時代に、まず502のような大型車から生産を始めるなど、BMWには企業体質として上級モデル志向があるのでしょうか?
世界一美しい2ドアクーペ
E9のトップを切って1968年に登場したモデルは2800CSでした。搭載されていたエンジンは、E3リムジーネの2800に搭載されていたのと同じ2788ccの直6シングルカム(最高出力は170hp)。ノイエクラッセの2ドアクーペ版である2000Cやその高性能版の2000CSの後継モデルという位置づけでもあり、ボディ/シャシーの基本デザインは共通です。直4エンジンに換えて直6エンジンを搭載するため、オーバーハングは少し延ばされていました。
またノイエクラッセのデザインは、ジョバンニ・ミケロッティが手掛けていたのに対して、こちらはベルトーネのチーフデザイナー、マルチェロ・ガンディーニがデザインを担当していたことも大きな特徴のひとつでした。
3年後にはエンジンを2985ccにまで拡大した3.0CSが登場しています。2800CSと同じくツインキャブ仕様で最高出力は180hpでしたが、その5カ月後に登場したCSiではキャプレターに換え、ボッシュ製のDジェトロニック(電子制御式燃料噴射装置)が組み込まれて最高出力は210hpと大台を突破していました。マニュアル式の5速ミッションも用意され、最高速も220km/hに引き上げられていました。
2002でヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)などツーリングカーレースを戦っていたBMW。当然、このクーペモデルでもレース参戦が考えられていましたが、そのための秘密兵器が1971年に登場した軽量モデル、3.0CSLでした。ちなみにLはLeichet(独語で軽量の意)を意味していました。
3.0CSLはドアをアルミ製に、リヤウインドウをアクリル製に交換するなど軽量化を追求し、ノーマルの1400kgから1200kgまでシェイプアップされていました。さらに翌1972年に登場したエボリューションモデルでは、エンジンの排気量を3003cc(89,3mmφ×80.0mm)まで拡大。1971年モデルではツインキャブだったものをボッシュ製のDジェトロニックに交換していました。
3003ccとしたところがミソで、グループ2のレギュレーションではピストンを交換して(ボアを拡大して)排気量を拡大することは認められていたものの、クラスを超えての排気量アップは認められていませんでした。
ベースモデルの2985ccでは3Lクラスの上限まで、ほとんど排気量アップの余地はありませんでしたが、3003ccとしたことで3.5Lクラスの上限まで、ほぼ500ccほどの排気量アップが許されることになるのです。
ちなみに1973年にはストロークを4.0mm延ばして排気量を3153ccにまで引き上げていましたから、さらにチューニングの余地が拡がることになりました。またレース仕様の3.0CSLは大袈裟なエアロパーツも特徴のひとつ。とくに前後のブリスタータイプのオーバーフェンダーは、迫力も十分でした。
もっとも、その後登場するグループ5仕様の3.5CSL/3.2CSLターボに比べると、まだまだ控え目ではありました。そう、レースはまさに留まることが許されない世界なんですね。いずれにしてもBMWの3.0CSLが、世界で一番美しい2ドアクーペの呼び声高いクルマだったことは間違いありません。