ポップカルチャーの歴史に輝く「ピンクのキャデラック」
所有することが成功の証とまでいわれる、アメリカの高級車ブランド「キャデラック(CADILLAC)」。とくに1940年代や50年代のキャデラックはデザインも豪華絢爛を極め、まさに富めるアメリカの象徴的な存在だった。そこで昭和の銀幕のスター、故・宝田 明さんも乗ったことで日本でもアイコニックな存在となった「ピンクのキャデラック」のルーツを探ってみよう。
宝田明さんも愛したアメリカの高級車キャデラック
宝田明さんは、1934年生まれ。1953年に東宝ニューフェイス6期生として、華々しくデビューを飾り俳優生活をスタートすると、翌年にはのちに国民的特撮映画となる「ゴジラ」の主演に抜擢。一躍トップスターとなる。その後も半世紀以上にわたり俳優、声優として活躍し続け、200を超える映画に出演するも、晩年は入退院を繰り返し、今年3月14日に逝去。87歳だった。
若くして一躍名俳優となった宝田さんは、複数のアメリカ車に乗り継いできた経験があり、なかでもキャデラックは、これまでの俳優生活で12台もの車歴があるかなりのキャデラック好きであることが知られている。
銀座で乗り回したというピンクのキャデラック
全盛期には同時代の俳優で飲み仲間だったという石原裕次郎さんとともに、夜な夜な銀座の街で豪遊を繰り返していたことが知られている宝田さんだが、その際に乗り回していたのが、「ピンクのキャデラック」だったそうだ。50年代といえばまだ自動車の数も少なく、国産車ではトヨタの初代「クラウン」がデビューしたばかり、という時代。当時ピンクのキャデラックは銀座の街でも有名だったんだとか。晩年にもご自身で、ピンクのキャデラックを乗り回していたことをことあるごとに回想されており、日本ではピンクのキャデラックといえば宝田さんというイメージが定着している。
ちなみに彼が所有した年式のなかで、純正のピンクだったことやタイミングを考えると、エピソードに登場するキャデラックは、1956年式であると思われる。この理由は後述する。
ピンクのキャデラックのルーツを探る
ピンクのキャデラックというと派手で奇抜なクルマの象徴のように語られるが、そのルーツを調べていくと、面白いことが判ってきた。クリント・イーストウッドが主人公を演じ、ピンク色の1959年式のキャデラック「62コンバーチブル」が登場する1989年の映画、その名も「PINK CADILLAC」や、1984年にはブルース・スプリングスティーンによって発表された「PINK CADILLAC」という歌など、頻繁にピンクのキャデラックはモチーフにされているのだ。
ちなみに日本でピンクのキャデラックというと、1966年のビートルズの来日時に空港からホテルなどへの移動の車両として使用されたのが、ピンクの1959年式キャデラックであったことを思い出す人が多いだろう。
行き着いたルーツはキングオブロックンロール
さらに調べていくと、そんな多くのピンクのキャデラックの原点が見えてきた。伝説のロック歌手、エルヴィス・プレスリーが乗っていたのがピンク色の1955年式キャデラック・フリートウッドだったのだ。
ちなみに50年代半ばのキャデラックに、純正でピンクのボディカラーがラインアップされていたのは1956年式と1957年式のみで、1955年当時には存在していなかった。そのため青いボディに黒いルーフだった個体を塗装業者によって、「エルヴィスローズ」と名付けられたピンクでリペイントしたものなんだそうだ。
この車両は現在グレイスランド(エルヴィスの生家でアメリカの歴史建造物に指定されている施設)で保管されている。エルヴィスの大ファンである小泉元首相が首相在任時の訪米で、ジョージ・ブッシュ大統領とともにここを訪れた際、キャデラックを見学している映像が流れ話題となった。
ピンクキャデラックは富めるアメリカを象徴するアイコン
ところがひとつ疑問が残る。ピンクのキャデラックというと、のちの映画なども含めてなぜか1959年式のコンバーチブルが多いという点だ。前述した通り、エルヴィスが乗っていたのは1955年なのだが、「PINK CADILLAC」で画像検索をしても、ヒットするのは1959式のコンバーチブルばかり。
これは推測でしかないのだが、やはりもっともテールフィンが成長し、栄華なスタイルを極めた1959年式に、ピンクという浮世離れした色がかけ合わさることで、富めるアメリカのアイコンとして「ピンクのキャデラック」=「1959年式のコンバーチブル」というイメージが出来上がっていったと思われるのだ。
ちなみに1959年式には淡いピンクパープルのメタリックは存在するものの、ローズピンクは存在しない。つまり現在あるピンクの1959年キャデラックは、基本的にエルヴィスをオマージュしたカスタムペイントということになる。
話は最初に戻るが、おそらく宝田さんは1955年のエルヴィス・プレスリーの人気と彼のピンクキャデラックを知った上で、さっそく翌1956年にピンクのキャデラックを購入したと思われる。当時のトレンドにとても敏感な人物であったことがうかがえるのだ。