F1マシンを意識したスペシャルモデル
イタリアン・エキゾチックカーのなかで至高の存在とされるフェラーリ。その、さらに高みを極めたモデル、至高の中の至高ともされるのがスペチアーレと呼ばれる限定生産の特別仕様車です。そのなかでF50のネクストバッターとして、また21世になって最初のバッターとして登場したのが今回の主人公、エンツォ・フェラーリです。
絢爛豪華なフェラーリのスペチアーレ歴史絵巻
1984年に登場したフェラーリGTO(1960年代に登場した250GTO区別するために288GTOと呼ばれていますが、フェラーリにおける正式名称はシンプルにフェラーリGTOです)を嚆矢とするフェラーリのスペチアーレは、これに次いで1987年に登場したF40、1995年に発売されたF50。それに続くのが2002年に発表されたエンツォ・フェラーリです。
もちろん、このネーミングはフェラーリを創設したエンツォ・フェラーリに因んだもの。ちなみにエンツォ・フェラーリの後継は2013年のジュネーブショーでお披露目されたラ フェラーリでした。
288GTOは、モータースポーツにおけるグループBのホモロゲーション(車両公認)を取得するためのベースモデルでした。まだグループBで戦われていたWRC参戦をひとつの目標として計画されましたが、参戦する前にグループBはWRCから除外されてしまいました。
とはいえ実際のところ、WRCはすでにミッドエンジン+4輪駆動のパッケージが必須となっていましたから、実際に参戦しても、フェラーリの名に相応しい結果が出せたかは疑問が残るところです。むしろ1980年代半ばにポルシェ930やBMW M1が参戦していたサーキットレースのグループBに参戦すれば、とも思われました。
残念ながらこちらもグループ5=シルエットフォーミュラからグループBに切り替わったものの、参戦できるレースがなくなってしまうというありさまで、悲運のマシンとなってしまいました。しかし、そのエボリューションモデルが製作され、F40の開発にひと役買ったエピソードはあまりにも有名です。
288GTOをテストベッドにするという、華麗なる開発段階を経て1987年のフランクフルトショーでお披露目されたスペチアーレがF40でした。F40というネーミングからも明らかなように、1947年にスタートしたフェラーリの創立40周年記念モデルという意味づけもありました。ですが、その基本コンセプトは“そのままレースに出られる市販車”で、これはビッグボスのエンツォ・フェラーリが温めてきたものでした。
フレームも、伝統的な鋼管スペースフレームとカーボンコンポジットで成形されたモノコックを組み合わせたハイブリッドで、ドアを開けるとカーボンコンポジットのモノコックタブが現れるという、近年のGTカーのようなパッケージとなっていました。
エンジンなどは288GTOエヴォルツィオーネのV8ツインターボがベースで、3Lまで排気量が拡大され最高出力も478psまでパワーアップされていました。そして実際にイタリア国内戦のスーパーカーレースで大活躍。日本でも国内最高峰とされるSUPER GTの前身、全日本GT選手権(JGTC)で優勝も飾っていました。
そんなF40の後継モデルが1995年に発売されたF50です。F50のネーミングからも明らかなようにフェラーリの創立50周年記念となるモデルでしたが、2年もフライングしての登場となりました。じつは排気ガス規制がさらに厳しくなる前に、という“大人の事情”があったのだと伝えられています。
F40の基本コンセプトは“そのままレースに出られる市販車”でしたが、F50のそれはさらに一歩進めて“公道を走るF1”となっていました。具体的には数々のF1マシンやル・マン・カーを製作した実績を持つ、レーシングカー・コンストラクター(シャシー製造者)のダラーラで製作したカーボンコンポジット製のモノコックに、1992年シーズンを戦ったフェラーリのF1マシン、F92Aに搭載されていた3.5L V12ツインカム(4カム)60バルブのTipo040型を4.7Lまで排気量アップしたユニットを搭載していました。
しかも、F1マシンなどと同様に、エンジンをモノコックにストレスマウントしていました。その騒音と振動は聞くまでもなく、とても酷かったようです。
F1マシンを意識したフロントビューやバタフライドアの採用が特徴
さて、フェラーリ・スペチアーレの華麗なる時代絵巻を振り返ったところで、いよいよ今回の主人公、エンツォ・フェラーリへと話を進めていきましょう。
フェラーリの創業55周年となる2002年に発表されたエンツォ・フェラーリは、日本人デザイナーの奥山清行さん(海外での活動名義はKen OKUYAMA)が、ピニンファリーナのデザインディレクターを務めていた当時にデザインを手掛けたことで知られています。
ハイノーズとアンヘドラル(下反角)ウイングを組み合わせたようなフロント部分は、間違いなくF1GPマシンを意識したものでした。そしてフェラーリの伝統ともなっている、丸型4灯式のテールライトを突出させたリヤデザインも、ほかのフェラーリとも一線を画す特徴的なものでした。またフェラーリとしては珍しく、バタフライドアを採用しているのも大きな特徴のひとつとなっています。
ダラーラに製造を委託した、カーボンコンポジット製のモノコックを採用しているのはF50と同様。このモノコックに組付けられたサスペンションは、前後ともにコイルスプリングで吊ったダブルウィッシュボーン式で、ショックアブソーバーは電子制御式が奢られていました。
搭載されるエンジンは65度V12の自然吸気6L。最高出力は660psにも及んでいました。排気量こそ違いますが、自然吸気のV12エンジンを搭載することではF50もエンツォ・フェラーリも同様だったものの、エンジンの搭載方法が一新されていました。
F50ではエンジンをモノコックのバスタブにストレスマウントしていたのに対して、このエンツォ・フェラーリではモノコックの後部にサブフレームを組付け、さらにそのサブフレームにゴムのマウントを介してエンジンを取り付けていたのです。
これはもちろん、F50で不満の多かった振動&騒音対策の一環だったのでしょう。そう言えばエンツォ・フェラーリにはエアコンも装備されていましたから、F50に比べると随分快適なドライブが楽しめるようになっていたと思います。ちなみに、生産台数は399台でした。
暑ければジャケットを脱いで、とストイックなドライビングを楽しむのもスポーツカーの醍醐味ですが、年齢を重ねてくるとそうも言ってられません。そんな大人で、銀行口座の残高があるなら、お奨めの1台だったと言っていいのでしょうか。いずれにしても、フリーライターにはアナザーワールドでしかないのですが……。