伝説的なレースカー02:RX-3(サバンナGT)
「ハコスカGT-Rを完膚なきまでに打ち破る」
R32型スカイラインGT-Rが活躍した1990年代前半から遡ること約20年。モータースポーツの黎明期にその先祖であるKPGC10(初代スカイラインGT-R)が49連勝を達成するなど、ツーリングカーシリーズ(TSシリーズ)もR32同様に勝利を総ナメにしていた。その絶対王者を完膚なきまでに打ち破ったのが、マツダのサバンナGT(輸出車名:RX-3)であった。
1971年9月、マツダのロータリー車として5番目のモデルとして登場したサバンナGTは、名前負けしない躍動感のあるスポーティなフォルムが特徴であった。基本は4ドアセダン、ワゴンも用意される大衆車であったが、2ドアはモータースポーツ活動を視野に入れて設計されていた。デビュー当初は排気量の小さい10Aロータリー(491㏄×2)であったが、GT-Rよりも約100kg軽量なボディと相まって、デビュー直後の12月に早くもGT-Rの50連勝を阻止。そのポテンシャルの高さを見せつけている。
さらに1972年に上級車のカペラに搭載されていた12Aロータリー(573㏄×2)が投入されたことで、日産vsマツダの勢力図は一変。パワーはGT-RのS20に匹敵する240ps(市販は後期型の125psが最強)に到達し、連戦連勝。ロータリーエンジンの優位性を示すとともにGT-Rに引導を渡した。ただし、当時のロータリーはレギュレーションでエンジン係数がレプシロエンジンの2倍とされ、そのため12Aは1146㏄なので2292㏄となり、2LのGT-Rとはクラスが異なった。
オイルショックと度重なる排ガス規制により、多くの自動車メーカーからスポーツカーが消えた1970年代中盤から後半も、国内ツーリングカーレースに参戦し続け、1976年にはGT-Rの勝利数の約2倍となる通算100勝を達成。それは後継モデルとなる初代RX-7が登場するまで続き、最強のツーリングカーの名を欲しいままとした。
伝説的なレースカー03:シティCR-i
「10年以上に渡り負け知らずの強さを誇った」
ホンダのM・M(マン・マキシマム/メカ・ミニマム)思想の申し子であった、初代のトールボーイスタイルを否定するかのようなロー&ワイドのクラウチングスタイルに生まれ変わり、1986年にデビューした2代目シティ。短い全長の四隅にタイヤを配し、地面に踏ん張るような安定感あるフォルムは、当時のホンダ車の流れを汲むものだった。
エンジンも同様で、上級車と同じセンタープラグ方式による燃焼効率に優れたSOHC16バルブ(キャブ仕様)を採用。1.2Lで76psと決して特別なエンジンではなかったが、700kg台の軽量なボディと相まって軽快な走りを披露。キビキビとした走りが魅力だった。残念ながら初代ほどのヒット作とはならなかったが、モータースポーツの世界では輝きを見せた。
なかでも飛び抜けていたのがジムカーナ(1.3L以下のA1クラス)で、ショートホイールベースかつワイドトレッド、ストラット/3リンクというパッケージはミズスマシのようにクルクルと旋回し、パワーで勝るカルタスGTi(1.3L DOHCで97ps、マイナーチェンジで110ps)と互角の勝負を繰り広げた。そのような状況をホンダが見逃すはずもなく、1988年のマイナーチェンジで排気量を1.3Lに拡大するとともに、PGM-FI(インジェクション)仕様を追加。馬力もカルタスと渡り合える100psに到達した(キャブ仕様は82ps)。
従来の高い旋回能力に加えて、粘り強く高回転までパンチのあるエンジンが加わった効果は抜群で、発売直後に開催された全日本ジムカーナでは、いきなりデビューウインを飾る。その後もライバルを寄せ付けることなく、1990年以降のA1クラスはシティ以外勝てない状況となり、2003年のレギュレーション改定(事実上強すぎたゆえ規則変更)に至るまで、10年以上に渡ってA1クラスは負け知らずの存在だったのだ。
タイトコーナーや曲がりくねったコースが得意なシティは全日本ラリーでも活躍。ジムカーナほど目立った戦績とはならなかったが、2000年の後半まで多くのドライバーが愛用。息の長いモデルとしてモータースポーツ界で愛用された。