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「全戦全勝」が当たり前! ライバルを駆逐するほど圧倒的な強さを誇った「ヒーロー車」伝説【国産車編】

富士グランチャンピオンレースを走るRX-3

レース界で伝説的になるほどの強さを誇った国産車たち

 1887年、フランス・パリで始まったと言われる自動車レース(日本では1922年に初開催と言われている)。それから130年強。長い歴史のなかで、記憶にも記録にも残る、まさにヒーローと呼ぶにふさわしいマシンが幾多も登場してきた。人によってイメージする車種は異なるため、さまざまな意見があると思うが、今回は最強の名に恥じない国産のモータースポーツ参戦ベース車を3台ピックアップする。

伝説的なレースカー01:R32スカイラインGT-R「グループAで29戦29勝を達成」

 FIA(国際自働車連盟)規程のツーリングカーと定義され、連続する12カ月に5000台以上(1992年からは2500台以上に変更)生産された、4座席以上の車両ならば参戦が可能となるグル―プAカテゴリー。市販車をベースに改造を施すレースであることから人気も高く、80年代~90年代後半までサーキット、ラリーを含めて一世を風靡した。

 ボディ形状/サスペンション型式/エンジン内部の変更は不可であったが、追加で500台以上生産すれば、よりレギュレーションに合致させたエボリューションモデルを用意できた(ラリー車両はNG)。そのため、BMW M3エボリューション、フォードシエラRS500コスワース、スープラ3.0GTターボA、ボルボ240エボリューションなどのホモロゲーション車両から、さらに戦闘力を高めた幾多のマシンが登場し、レースで活躍してきた。

 そのエボリューションモデルのなかで、一番のホモロゲミートモデルと呼ばれるのがBNR32ことR32型スカイラインGT-Rだ。600ps強を見越して開発されたエンジンと、そのパワーを確実に路面に伝えるための4WD化。さらに4WD化により重くなった車重への対応と最適幅のタイヤ選択のために決定された2568㏄の中途半端な排気量。そして、エボリューションモデルとして500台で販売した(正式には560台)NISMOには大型タービン、冷却性能向上アイテム、空力デバイスを加えるなどグル―プAで勝つためにあらゆる手を尽くされたマシンであった。

 その結果は多くのクルマ好きが知る通りで、国内のグル―プAレースでは参戦した4年間(1990~1993年)で負け知らずの29戦29勝、より改造範囲の狭いN1耐久レース(現在のスーパー耐久レースの前身)でも、29戦28勝という圧巻の勝ち星を挙げている。ただし、その活躍は国内だけに止まらず、世界でも強さを見せつけている。

 一例を挙げると、世界三大24時間レースのひとつであるベルギーのスパ・フランコルシャンでは参戦初年度の1990年にはグル―プN仕様ながら1~3位までの表彰台を独占し、翌91年にはグル―プA、グル―プNのダブル優勝を飾っている。また、中国のマカオGPギアレースでも初参戦の‛90年にはライバルよりも1周4~5秒速いペースで周回し、圧勝。同年イギリスのサルーンカー選手権でもグル―プN仕様で8勝を上げてチャンピオンに輝いている。さらにオーストラリアのツーリングカーレース(ATCC)にも登場。’90~’92年まで3連覇(’90年はシーズン途中までR31)を成し遂げるなどまさに無敵を誇った。

 ただ、R32スカイラインGT-Rがあまりにも強すぎたため、’91年以降は各レースでウエイトハンデが課せられたり、カテゴリー違いのマシンと戦うはめになったり、なかにはレギュレーション変更で参戦そのものが不可になるなど、世界で排除する意向が働いた。とはいえ、一時ではあるが世界の最先端を走り、最強のツーリングカーとして君臨。その名を世界に知らしめた。

伝説的なレースカー02:RX-3(サバンナGT)
「ハコスカGT-Rを完膚なきまでに打ち破る」

 R32型スカイラインGT-Rが活躍した1990年代前半から遡ること約20年。モータースポーツの黎明期にその先祖であるKPGC10(初代スカイラインGT-R)が49連勝を達成するなど、ツーリングカーシリーズ(TSシリーズ)もR32同様に勝利を総ナメにしていた。その絶対王者を完膚なきまでに打ち破ったのが、マツダのサバンナGT(輸出車名:RX-3)であった。

 1971年9月、マツダのロータリー車として5番目のモデルとして登場したサバンナGTは、名前負けしない躍動感のあるスポーティなフォルムが特徴であった。基本は4ドアセダン、ワゴンも用意される大衆車であったが、2ドアはモータースポーツ活動を視野に入れて設計されていた。デビュー当初は排気量の小さい10Aロータリー(491㏄×2)であったが、GT-Rよりも約100kg軽量なボディと相まって、デビュー直後の12月に早くもGT-Rの50連勝を阻止。そのポテンシャルの高さを見せつけている。

 さらに1972年に上級車のカペラに搭載されていた12Aロータリー(573㏄×2)が投入されたことで、日産vsマツダの勢力図は一変。パワーはGT-RのS20に匹敵する240ps(市販は後期型の125psが最強)に到達し、連戦連勝。ロータリーエンジンの優位性を示すとともにGT-Rに引導を渡した。ただし、当時のロータリーはレギュレーションでエンジン係数がレプシロエンジンの2倍とされ、そのため12Aは1146㏄なので2292㏄となり、2LのGT-Rとはクラスが異なった。

 オイルショックと度重なる排ガス規制により、多くの自動車メーカーからスポーツカーが消えた1970年代中盤から後半も、国内ツーリングカーレースに参戦し続け、1976年にはGT-Rの勝利数の約2倍となる通算100勝を達成。それは後継モデルとなる初代RX-7が登場するまで続き、最強のツーリングカーの名を欲しいままとした。

伝説的なレースカー03:シティCR-i
「10年以上に渡り負け知らずの強さを誇った」

 ホンダのM・M(マン・マキシマム/メカ・ミニマム)思想の申し子であった、初代のトールボーイスタイルを否定するかのようなロー&ワイドのクラウチングスタイルに生まれ変わり、1986年にデビューした2代目シティ。短い全長の四隅にタイヤを配し、地面に踏ん張るような安定感あるフォルムは、当時のホンダ車の流れを汲むものだった。

 エンジンも同様で、上級車と同じセンタープラグ方式による燃焼効率に優れたSOHC16バルブ(キャブ仕様)を採用。1.2Lで76psと決して特別なエンジンではなかったが、700kg台の軽量なボディと相まって軽快な走りを披露。キビキビとした走りが魅力だった。残念ながら初代ほどのヒット作とはならなかったが、モータースポーツの世界では輝きを見せた。

 なかでも飛び抜けていたのがジムカーナ(1.3L以下のA1クラス)で、ショートホイールベースかつワイドトレッド、ストラット/3リンクというパッケージはミズスマシのようにクルクルと旋回し、パワーで勝るカルタスGTi(1.3L DOHCで97ps、マイナーチェンジで110ps)と互角の勝負を繰り広げた。そのような状況をホンダが見逃すはずもなく、1988年のマイナーチェンジで排気量を1.3Lに拡大するとともに、PGM-FI(インジェクション)仕様を追加。馬力もカルタスと渡り合える100psに到達した(キャブ仕様は82ps)。

 従来の高い旋回能力に加えて、粘り強く高回転までパンチのあるエンジンが加わった効果は抜群で、発売直後に開催された全日本ジムカーナでは、いきなりデビューウインを飾る。その後もライバルを寄せ付けることなく、1990年以降のA1クラスはシティ以外勝てない状況となり、2003年のレギュレーション改定(事実上強すぎたゆえ規則変更)に至るまで、10年以上に渡ってA1クラスは負け知らずの存在だったのだ。

 タイトコーナーや曲がりくねったコースが得意なシティは全日本ラリーでも活躍。ジムカーナほど目立った戦績とはならなかったが、2000年の後半まで多くのドライバーが愛用。息の長いモデルとしてモータースポーツ界で愛用された。

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