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ビートやカプチーノと同い年! コペン誕生の10年前にひっそりと存在した「ダイハツ・リーザスパイダー」とは

1991年に登場するも380台しか売れなかった「リーザスパイダー」

平成初期、「ABCトリオ」の影に隠れた2座の軽オープンカー

 編集部から「リーザ・スパイダー」なる何とも渋いお題をいただいた。リーザ・スパイダーとかけて……と噺家であれば何と解くのかわからないが、言えるのは、とにかくレアなクルマだったということだ。

 リーザ・スパイダーの登場・発売は1991年11月(~1993年8月)のことで、それは「ホンダ・ビート」(同年5月)、「スズキ・カプチーノ」(同年10月)の登場とはまさしく同い歳。とはいえ、ビート、カプチーノがあれだけの注目を集めていたのに対し、リーザ・スパイダーの注目度はそこまでには及ばなかったのは事実。生産台数も確か400台に満たない数字だったから、当然といえば当然だったが……。

「ふたり、だから、ツーシーター。」

 このリーザ・スパイダーは、カタログにも「ふたり、だから、ツーシーター。」とあるように、ドライビンググローブを嵌めてワインディングの走りを愉しむためのクルマ……ではなかった。どちらかといえばタウンユース主体のお洒落でカジュアルなクルマ、そんな位置づけだった。

 もともとスパイダーのベースとなった「リーザ」自体、ベースの「ミラ」からホイールベースを120mmも詰めて造られた「プライベートミニ」がコンセプト(モデル途中で軽自動車の規格が変わり、バンパーの大型化で全長+100mmとなるなどしたが)。そのパーソナルクーペを2座席化し、ルーフ部分を取り去ったのがスパイダーだった。スパイダーは登場時点で660ccターボを搭載しており、全長も当初から3295mm(ベース車は2195mm)となっていた。

「ミニをうつくしく、ひらきました。」

 リーザ・スパイダーの実車は、まあ素直に屋根付きのリーザをオープンにした、そんな仕上がりだった。「コンバーチブルトップ」と呼ばれた幌は、日本車であればNAロードスターなどでお馴染みだった、頭上前方2箇所のロックを外し、あとは後方に向かって折り畳む方式。畳まれた幌は低く収まり、その上にハーフトノカバーを被せホックを留めていけば、オープン走行状態の準備は完了だった。スタイリングは、言葉を選ばずに言うとスノッブというよりやや朴訥な印象もあったが、それは「ヘミサイクルシェイプ」と呼ばれたベース車のスタイリングが、いかにキレイで個性があったかの証左だったような気もする。

 スタイリングでいえば、スパイダーはドアのウインドウ部分に、ちょうど三角窓のようなパーティションが加えられていた。多少なりとも走行中のスカットルシェイクを抑える効果のためだったかどうかは未確認。ただしユニークだったのは、このパーティションは前後でガラスを物理的に仕切っていたわけではなく、ウインドウを上下させると1枚モノのガラスは、2重になったパーティションに挟まれた間をスルスルとスライドする構造だった。

「このキャビンは、天まで広い。」

 あらためてスパイダーのカタログを見直すと、このクルマが「上級仕様」だったこともわかる。モモ製ステアリングホイール(当時、市販品でも人気のあったコブラIIだ)や、プリセームと呼ばれた人工皮革を表皮にしたバケットシートなども備えていた。なお搭載エンジンは660ccの12バルブEFIターボで、64ps/9.4kg−mの性能を発揮、トランスミッションには5速MTと3速ATが用意された。

 さらにフロントビスカスLSD、前輪ベンチレーテッドディスクブレーキも標準装備。現役当時に試乗したときの記憶はうっすらとしたものながら、その時代のオープンボディだったから、オープン/クローズに関わらず走行中にボディ、フロントスクリーン、ステアリングコラムのワナワナを絶えず実感したこと、その状態でアクセルを踏み込むと、かなり強烈な加速感に見舞われたことなど……が筆者の記憶のなかにはある。

じつは連綿と続いていたダイハツのオープンへの挑戦

 ところでダイハツのオープンタイプといえば、1970年の「フェローバギィ」もあった。残念ながらその年の東京モーターショーのパンフレットが手元になく、筆者の頭にUSBポートもないので、記憶のなかの赤/白2トーンのショーカーの姿を出力してお見せすることはできない。だが、VWがビートルのシャシーにFRPボディを被せたサンドバギーを造ったのと同様、ダイハツは当時の軽いピックアップトラックのフレームを利用してこのバギィを仕立て、何と販売までしていたのだった。

 ほかにダイハツといえば60年代の「コンパーノ(スポーツ)スパイダー」が有名。写真は手元にある1969年の東京モーターショーのパンフレットだが、「“通”が日本一の折り紙をつけた本格派」、「青空のなかをかけぬける2+2ではない本格的な4座、総会な排気音、幌の着脱は30秒」などと紹介文が載っている。

 もう1台、第26回東京モーターショー(1985年)のパンフレットに載っていたのが、参考出品車、「ミラ・カブリオレ」だ。こちらは市販化はされなかったが、まさにVWゴルフ・カブリオをスケールダウンさせたようなスタイリングは、今見てもあながち非現実的ではなく、実現されてもよかったなぁ……と思わせられる1台だ。

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