「カタナ」のデザイナーが手がけた「レジントップ」
ボディタイプは、登場時は3ドアのハードトップ(バンを含む)とコンバーチブルを設定。さらに1990年9月には5ドアが追加された。この5ドアは「ノマド(=遊牧民)」の名が与えられ、3ドア(ショートボディ)より全長+415mm、ホイールベース+280mmと大幅にボディサイズを豊かにしたもの。ガソリンタンク容量もショートボディの42Lに対し55Lへと拡大させていた。またコンバーチブルトップをベースに樹脂製トップを装着したレジントップも登場しており、このトップのデザインは、2輪の「スズキ・カタナ」でおなじみだったドイツ人デザイナー、ハンス・ムートが手がけたものだった。
駆け足で追っていくと、その後1994年12月には、スズキ初の6気筒だったV6の2L・DOHCと2Lディーゼルターボを搭載。1996年10月には新開発となる2Lの4気筒DOHC、2.5LのV6・DOHCを搭載するなどしたほか、走行中の4WDと2WDの切り替えを可能とする新機構の「ドライブセレクト4×4」を採用するなどしている。
初代エスクードは、欧州では「ビターラ」、北米では「サイドキック」として好評を得たほか、GM販売網では「ジオ・トラッカー」「ポンティアック・サンランナー」としても販売された。9年半と長いライフを過ごしたあと、1997年11月に2世代目にバトンタッチし、北米を中心とした市場要求に応えるクルマへと進化を遂げていった。
アウトドア系ブランドとのコラボモデルもあった
ちょこっとだけ私見を挟ませていただくと、今、エスクードといえばやはりイメージするのは初代の、しかも3ドアショートボディで、後期型のようにグリルもフェンダーもまだデコラティブではないころのあのクリーンでコンパクトな姿がイチバン新鮮で魅力的だったような気がする。ヘリー・ハンセン、ゴールドウィンなどのブランドとのコラボモデルも限定車であったが、粋な初代エスクードはそれらのモードも無理なく着こなしていた。
手元にある1992年10月のカタログには、「私は、街も、草原も。」/「週末異邦人。」/「東京発、今夜7時。」/「道あり、予約なし。」など、決してキャッチーさは狙っていないが、いかにもさり気なく旅に誘うようなコピーがページごとに続く。