新車当時のペイントを残す奇跡の個体が佐世保にいた!
ところが今年4月6日(日)、和歌山市で開催されたクラシックVWのイベント「オレンジバグ」会場において、「佐世保55」ナンバーのファッショナブルビートルが出現した! 華道家の安達瞳子さんがデザインしたボディペイントが、多少の経年劣化はありつつも、そのまま残っているのである。
長崎県から和歌山までこのビートルを運転して来た現オーナーの鹿山 正さんは、このファッショナブルビートルを昨年の秋に手に入れたばかり。もう1台、シングルナンバー「長崎5」を掲げる1967年式ビートルを所有しているVW愛好家であり、なかでもヤナセ好きが高じて、ヤナセ関連の貴重なグッズや紙物を収集しているヤナセ・コレクターでもある。この記事でお見せしている当時物の資料も、鹿山さんのコレクションの一部だ。
「前のオーナーさんがこれを新車で買ったのですが、佐世保で床屋さんをしていたのでイベントなどへ遠出することもなく、地元で釣りと買い物にしか乗っていなかったようです。長崎市に住んでいる私も最近までその存在を知りませんでした」
佐世保の旧車乗りの間では幻のビートルとして少しウワサになっていたようで、声をかける人もいたらしい。そして40年以上も乗り続けた前オーナーさんが昨年の秋、高齢で免許を返納することとなり、ご縁がつながって鹿山さんがこのファッショナブルビートルを引き継いだという次第。
南天の実をイメージした非対称デザイン
純正ボディカラー「ポーラホワイト」の上にランダムにちりばめられた赤い点は、南天の実のイメージ。
このファッショナブルビートルをデザインした華道家・安達曈子さんは当時、こうコメントしている。「いけばなの魅力はアンバランスのバランスにあると思っています。この非対称の美しさを走らせたかったのです。赤い身は南天。難ヲ転ジル神木が護符に。」
ボディ左側に描かれた「神木」がお守りになってくれたのか、40年以上も前のアートペイントをそのまま残して今なお元気に走るファッショナブルビートルは、まさに奇跡のような光景だ。
ちなみにこの後、1978年にはドイツ本国でのビートル生産が終了するということで、ヤナセで500台の限定車「グローリービートル」を企画して即完売している。そのほんの少し前、このようにアーティストとのコラボレーションが存在したことは、ヤナセが日本で築き上げてきたワーゲン文化のひとつの到達点を示すといえるだろう。
もしほかにも、日本のどこかで眠っているファッショナブルビートルがあれば、リペイントしてしまわず、なるべく後世に残していってほしい。