1968年から展開されるカローラの派生モデル
1966年に登場した初代カローラは、自他ともに認める日本を代表するブランドだ。生産累計1000万台を達成したのは1983年3月1日のことで、当時それはT型フォード、シボレー、VWビートルに次ぐ快挙と言われ、16年4カ月という1000万台達成到達期間では、戦後に誕生したクルマのなかではもっとも早いペースだった。
それだけ偉大なブランドであり、日本のモータリゼーションを支えてきたクルマではあった。だが、初代カローラからコンセプトに掲げられた“80点主義(+α)”は、いつしかあらぬ方向にもひとり歩きし、カローラは面白みがあるとはいえないクルマ……そんな言われ方をするようになる時期もあった。
だが、たとえカタログでは派手でキャッチーなタイトルを謳わなくとも56年続いてきた事実は、昔の名前が次々と消えている日本車のなかでも偉大といっていい。その長く続いてきた秘訣が、コンセプトの“+α”の部分にあるのだった。
つまりカローラという根幹は守りつつ、その時代、時代に即してユーザーニーズに応えることが“+α”の意味するところだった。昨年、カローラクロスが登場したときにチーフエンジニアにお話を伺う機会があったが、そこで「+αの考え方は今でも大事にしている」とお聞きし、「なるほど、そういうことかぁ」とあらためて思った次第だ。
カローラ・スプリンター
カローラの“派生車”の歴史もまた長い。その記念すべき最初のクルマが1968年、まさに初代カローラの時代に“もっとスポーティなクルマを”の声に応えて登場したカローラの5人乗りクーペ版であるカローラ・スプリンター。スプリンターは2代目カローラの登場時から兄弟車として個別の車種となったが、最初はカローラの1バリエーションだった。
カローラ・レビン
そのスポーツ系は2代目カローラ登場時に初代の“カローラ・レビン(スプリンター・トレノ)”として登場。いわゆる27レビン/トレノだが、セリカにも搭載した2T-G型1.6L・DOHCを載せ、若いユーザーにも手が届くスポーツモデルとして人気に。その後もRFとして存続したAE86を始め、今でも愛好するマニアに愛されているのはご承知のとおりだ。
カローラII
一方で、ポピュラーカーとしての裾野を広げるべく1982年に登場したのが、2BOXスタイルのカローラII。じつはこのモデルは、1980年にマツダから登場し大人気となった5代目ファミリア(赤いファミリア)の追撃のために登場したモデル。カタログではテニスプレーヤーのジョン・マッケンローを起用するなどしていた。