ロマンチックと引き替えに、夏場はかなり暑かった
強いていえば、街なか(人前)ではセラに乗り降りするため、このガルウイングドアの開閉は必須だったから、それなりに衆目を集めることが気恥ずかしかったことが思い出されるくらいか。それと広報車(撮影車)を借り出したのは、フレッド・ペリーかラコステの半袖のポロシャツを着用している季節だったから、自慢のグラッシーキャビンはまさしくガラス張りだったため、なかなか暑い思いをしたことを覚えている。頭上部分には脱着式のルーフサンシェードが付属していたが、記憶が正しければ、気休め程度の効果でしかなかった。
当初からの設定だったかどうか未確認だが、1993年12月のマイナーチェンジ版のカタログには、ドアガラスのちょうど頭上部分にボカシをかけた「ドア熱線反射コーティングガラス」がオプションで用意されているとの紹介が載っている。3次元曲面ガラスを用いた「パノラミックハッチ」も世界最大級と謳われていて、オプションで野球帽のツバを後ろに回して被ったようなバックバイザーも用意されていたが、その効果のほどもごく限定的だった。なお乗車定員は4名で、リヤシートは+2程度のスペースになっていた。
ゆるくドライブを楽しめるFFクーペだった
……何やら苦労話に終始してしまい、未経験の方には「セラに乗るのは苦行に等しかったのか?」と誤解を招いてしまうそうだが、クルマとしてはもちろん楽しいクルマだった。野暮な自動車雑誌的に、当時のライバル車などとしてサニークーペなどを引き合いに連れ出してロケを敢行した覚えもある。だが、そういう場合、何人かのスタッフで人気の高いクルマの順にキーが掴まれていくのだが、暑い思いをするのを承知で、やはりセラのキーは我先にと(それほど壮絶なムードでもなかったが)誰かが手にとっていた。
案外というべきか、車重がそこそこあったせいか(MT車で890kg、AT車で930kg)、乗り心地は神経を逆撫でされないタイプの、路面からのショックが心地よく緩和されたものだった。また、おろしたての広報車につき経年変化は未確認だったが、開口部の大きい特殊なドア構造のボディながら剛性感はしっかりとあり、それも穏やかな乗り味に貢献していたはずだ。
搭載エンジンは当時の小型車系の1.5L(5E-FHE型)で、カタログのスペックはネット110ps/13.5kg-mというもの。とりたててパワフルではなかったが、ジンワリといい感じのユルさでセラを加減速させることができた記憶がある。カタログを見返すと、タイヤについて「NAGI」と命名された新開発タイヤが装着されているとの紹介があり、非対称方向性トレッドパターンが採用されているとの記述も。そういえばこのタイヤのおかげもあり、耳触りなタイヤノイズが立たなかったことも、いい感じのユルいドライバビリティの一助になっていた気がする。