ル・マンやJGTCで活躍した伝説のモデル
「マクラーレンF1 GTR」
ツーリングカーの主役はいつの時代もポルシェだが、ぽっと出の新興勢力ながら王者ポルシェを打ち負かしたマシンがマクラーレンF1だ。マシンデザイナーとして一時代を築いたゴードン・マーレーが「20世紀最後の工業製品として10年、20年見劣りすることのないクルマ」を目標に掲げて設計が行われ1991年に発表。1993年に54万ポンド(当時のレートで約9600万円)という、当時としては驚愕の価格で販売されたスーパースポーツカー(日本での発表会は英国大使館で行われた)であった。
類い希な運動性を実現するために、F1譲りのカーボンコンポジットを使った軽量モノコックボディを採用し、各部にも軽量素材を多用。シートはドライバーをセンターに置いた3シーターを採用し、トランクスペースもホイールベース内に置くなど、重量配分の最適化も徹底され車重は1140kgに抑えられていた。
シートの後ろにマウントされるエンジンは幻のBMW M8(850ベース)用に開発されたエンジンの進化版で、レース車両と同じドライサンプ方式の6.1L DOHC V12気筒は627psを発揮。最高速は380km/h以上と圧巻のパフォーマンスを実現した。また、世界最高峰の性能を達成しながら、初代NSXのように日常で使える快適性に配慮されており、究極のデイリースーパーカーでもあった。
レース仕様の「マクラーレンF1 GTR」が
1995年にデビュー!
ドライバーに優しく、グル―プCやF1の技術が投入されたこのマシンをモータースポーツに参加するチームやドライバーが放っておくはずがない。BPRGTシリーズ(のちのFIA GT1につながる)に参戦するドライバーの依頼からレース仕様のマクラーレンF1 GTRがデリバリーされ、1995年のル・マン24時間レースでは初出場初優勝している。
このときのドライバーのひとりが関谷正徳選手で、日本人ドライバーとして初のル・マンウイナーに輝いている。また、1996年には全日本GT選手権にも初参戦。ライバルを寄せ付けない圧巻の走りで、コンストラクター&ドライバーのダブルチャンピオンに輝いた。
ただし、1996年以降はFIA-GT選手権のレギュレーションの変更により、多くのメーカーがGTカーから本格的なレース専用車両へと移り変わるなか、GTRも大幅に手が加えられたエボリューションモデルを投入した。しかし、ロードゴーイングありきの考えで生産されるマクラーレンF1では勝ち目がなく、1997年秋にBMWからのエンジン供給終了がアナウンスされ、1998年に生産を終えている。わずか5年の販売期間(64台を製造とされている)ながら、スーパーカーとしてもレーシングカーとしても大きな爪痕を残した。ちなみに2020年にその後継車にあたるゴードン・マレーT.50が発表されている。