グループA時代を通じて争ったのはBMWとメルセデス・ベンツ
GTカーとの混走時代を経て1980年代序盤にツーリングカー単独の選手権としてスタートしたDTMでは、1990年代初めまでグループAによる激しいバトルが繰り広げられていました。当初はBMW635CSiやボルボ240ターボ、フォード・シエラ、ローバー・ビテスのような大排気量車=排気量が2501cc以上のディビジョン1(Div.1)が優位に立っていました。
BMW M3
1987年シーズンには、この年がデビューシーズンとなったBMW M3をドライブしたエリック・ヴァン・デ・ポールがチャンピオンになっています。
1989年にはロベルト・ラヴァーリアもチャンピオンとなっていますが、この2シーズン以外にも上位で活躍した記録が残っています。BMW M3は1985年に発表され、翌1986年から販売されたロードモデルですが、3シリーズの2ドアをベースに開発され、ボディに補強が加えられ、大きく太くサイズアップしたタイヤ(前後ともに205/55VR15、ホイール幅は7J)をカバーするために前後にブリスターフェンダーを装着。
空力に関してもフロントスポイラーを装着し、リヤはトランクリッドを含めてハイデッキ化した上にリヤウイングを装着。さらにはボディ上部を流れる空気を整流するため、リヤウインドウの傾斜角もより寝かせるなど、外板パネルも専用部品を多く使用していました。
ベースとなった3シリーズの2ドアセダンとは完全に別モノで、もちろんロードゴーイングとして普段使いも可能だが、少し手を加えてレースマシンに仕立て上げる。そんな市販レーシングカーと呼ぶべきモデルとなっていました。
エンジンは、スーパースポーツのM1やETCで活躍したM635CSiに搭載されていた、3.5L直6ツインカムのM88型から2気筒分を取り去った格好で製作された直4のS14型。2302cc(93.4mmφ×84.0mm)の排気量から200HPを絞り出していました。
DTMにはデビューシーズンと1989年にドライバーチャンピオンを輩出していますが、強敵が現れたために1990年にはスポーツエボリューションを投入。これはエンジンを2467cc(95.0mmφ×84.0mm)に拡大したもので、最高出力は238HPに達していました。そしてDTMにおいてグループA最終シーズンとなった1992年までトップコンテンダーとして記憶に残る活躍を続けたのです。
メルセデス・ベンツ190E2.5-16 EVOLUTION II
そんなBMW M3の最大のライバルとなったのは、メルセデス・ベンツが投入した190E(後にCクラスを名乗るようになるコンパクトラインの先駆け)をベースに、コスワースがチューニングした直4ツインカム16バルブのM102ユニットを搭載する190E2.3-16でした。
M102ユニットは排気量が2299cc(95.5mmφ×80.3mm)で185psの最高出力を発生していました。サスペンションはフロントが、メルセデス・ベンツとしては初採用となるストラット式でリヤはマルチリンク式。グループAではサスペンションは大きく変更することはできませんが、それでもスプリングやダンパーを強化し、ハイパワーが生み出すハイスピードに対応していました。
ライバルと同様に、この190E2.3-16も1990年代に入るとさらに強力なエボリューションモデルが登場してきます。それが1991年にデビューする190E2.5-16 EVOLUTION IIでした。排気量を、グループAのディビジョン2(Div.2。1601cc~2500cc)の限度いっぱいとなる2463㏄(97.3mmφ×82.8mm)にまで拡大し、最高出力も235psにまで高められていました。
外観ではオーバーフェンダーがより巨大となり、またリヤウイングもより高くなり、ルーフエンドのスポイラーと合わせて空力的な効果がより強調されたようです。DTMには1990年シーズンにデビューし、翌1991年までは同じDiv.2のBMW M3や一クラス上となるDiv.1のアウディV8と三つ巴のバトルを展開。1991年にはアウディを駆るフランク・ビエラにドライバーチャンピオンを奪われたものの、この年から設定されたマニュファクチャラーチャンピオンに輝くことになりました。
これはメルセデス・ベンツにとっては悲願だったDTMでの初タイトルとなりました。さらにレギュレーションの解釈の違いもあり、アウディがDTMから撤退すると、1992年シーズンにはBMW M3とのマッチレースを展開して24戦16勝をマーク。2年連続のマニュファクチャラーチャンピオンに輝き、5勝を挙げてドライバーズチャンピオンに輝いたクラウス・ルドヴィクがとともに、ダブルタイトルでグループAによるDTMに有終の美を飾ることになりました。