北米の外では60年代後半まで生き残ったテールフィン
アメリカにおけるテールフィンのブームは50年代が終わるとともに鎮静化されていきましたが、ブームが伝わっていったヨーロッパや日本では、もうしばらくブームが続くことになりました。ヨーロッパでは、例えばドイツでは「アウトウニオン1000」や、水陸両用車として知られる「アンフィカー」などが60年代に入ってもテールフィンを生やして走り回っていましたし、何とメルセデス・ベンツにもテールフィンを生やしたモデルがあったのです。これは文字通り「フィンテール」と呼ばれた「W110」や「W111/W112」で、60年代を通じて販売されていて、日本国内では「ハネベン」と呼ばれていました。
またチシタリアが先鞭をつけたイタリアでも「フィアット2100」はテールフィンが装着されていました。イギリスでも「ボクスホール・ビクター」や「フォード・コルチナ」、「アストン・マーチンDB4」、あるいはエリザベス女王の愛車としても知られる「ローバーP5」などもテールフィンを生やしていました。
北欧のボルボでは「アマゾン」や2ドアクーペの「P1800」が、サーブでは「95」にテールフィンを見ることができました。東欧では「シュコダ・オクタビア」がテールフィンを生やしていましたし、ロシアでも「ガズ・チャイカ」には立派な羽が生えていました。
日本では憧れの国アメリカの象徴だった
一方、わが日本国内でもテールフィンを生やしたクルマは数多くありました。トヨタでは初代「クラウン」から「コロナ」、そして初代「パブリカ」までテールフィンがフルラインアップ。クラウンのライバルだった日産の初代「セドリック」やプリンスの2代目「グロリア」、そして同じくプリンスの初代「スカイライン」や「スカイライン・スポーツ」といった小型乗用車だけでなく、マツダ(当時は東洋工業)の軽乗用車、「R360」クーペにも可愛いテールフィンが生えていました。
それはある程度仕方ない面もあって、まずアメリカは、クルマの先進国であり、自動車工業の先進国でもありましたから、各国のクルマや自動車工業が、アメリカに「右に倣え」となったのも充分に理解できます。また戦勝国で戦争被害の少なかったアメリカは、世界中を見渡しても独り勝ち状態で、経済発展でも他を圧倒していましたから、そのアメリカで繁栄のシンボルともされていたテールフィンには憧れもあったのでしょう。
じつはGMの大がかりな販売戦略だった!?
しかしアメリカでテールフィンがもてはやされたのはGMの販売戦略に踊らされたことが大きい、とする説もあります。つまり「計画的な陳腐化」と呼ばれる、定期的なモデルチェンジ&マイナーチェンジのためのテールフィンだったと。たしかに、テールフィンは人目を惹くため、少し手を加えるだけで、つまり大きくコストをかけることなく、見た目を一新させることができる、というのがその理由だそうです。
ちなみに、先に触れたようにレーシングカーがサーキットを走るような高速走行では空力的な理由付けもあったでしょうが、一般的なロードゴーイング、とくに1960年前後の道路事情を考えると、とても空気力学の裏付けがあったとは思えません。もちろん、何ら意味がなくても、それが好きだという人はいるでしょうし、それを否定するつもりも到底ありません。ただ個人的にはテールフィンよりも、ボンネットを開けた時に結晶塗装されたツインカムのカムカバーが現れた方がよほどカッコいいと思うのですが、それも「だから何?」と言われればそれまでなのですが……。