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「V12搭載」「跳ね上げドア採用」「300km/h達成」! それぞれ初採用のスーパーカーは何?

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/FERRARI/LAMBORGHINI

跳ね上げ式ドアの採用や300km/hをオーバーしたスーパーカーとは

 スーパーカーの元祖とされるランボルギーニ・ミウラの後継モデルとして1971年のジュネーブ・ショーでプロトタイプのLP500が発表。1973年にLP400として発売されたランボルギーニ・カウンタックは、その出自や誕生のタイミングも含めて、スーパーカーの代名詞のような存在となりました。ランボルギーニ・カウンタック

 まず何よりも大きなアピールとなったのは、そのスタイリングでした。ミウラと同様にベルトーネのマルチェロ・ガンディーニが手掛けたデザインは、まるでショーモデルをそのまま公道に引っ張り出したような強烈な印象がありました。

 そして何より特徴的だったのは、まるで鳥が翼を広げたように開くガルウイングドア。正確にはルーフにヒンジを設けて、ルーフのセンターに向けて大きく跳ね上げるガルウイングドアではなく、Aピラー下部に車体中心線と直行。かつ地面とほぼ平行な回転軸を持つヒンジによって、ドアがほぼ垂直、斜め前方に跳ね上がるタイプで、ハサミのような動きで開閉するためにシザースドアと呼ばれるものを採用していたこと。ランボルギーニ・カウンタック

 フレームに高剛性を求めてサイドシルが太くかつ高くなったり、また空気抵抗を低減するためにルーフを思いっきり低く設定したレーシングカーでは、乗降性をよくするために、こうしたドアが使用されるケースが多くありました。ロードカーとしては1950年代にメルセデス・ベンツが300SLで使用していた程度で、フォードGT、通称“GT40”もドアにルーフの一部を一体化させていて、ドアの開閉方式そのものは前ヒンジで開閉する通常のタイプでした。メルセデスベンツ300SL

 カウンタックがもうひとつ、スーパーカーとして初めて達成したのは300km/hの最高速度でした。前任車であるミウラの最終モデルP400SVが385psで車輌重量1305kgだったのに対し、カウンタックのLP400は最高出力こそ同数値の385psでしたが、車両重量は1200kgと100kg以上も軽量。ランボルギーニ・カウンタックのメーター

 しかも全幅×全高が1780mm×1100mmのミウラに対してカウンタックは1870mm×1030mmで前面投影面積は1.958m2から1.926m2と数%小さくなっていましたから、ファンならずとも期待は高まります。ただしこれはあくまでも公称値でしかなく、さまざまな情報から想像するに、実際には300km/hには届いていなかったようです。ランボルギーニ・カウンタック

 それでもカタログで最高速が300km/hと謳ってある以上、それはひとつの真実となります。またメカニズムに関しては、ミウラではV12エンジンがコクピットの背後に横置きにマウントされていましたが、カウンタックでは縦置きにマウントしています。

 しかし前方からエンジン、デフ、トランスミッションという通常のレイアウトでは重量バランス的に厳しくなるので、エンジンとミッションを前後逆方向に搭載。ミッションからはドライブシャフトでエンジン後方にマウントしたデフにパワーを伝える、凝ったレイアウトとなっていました。ランボルギーニ・カウンタック

 さて最高速に話を戻しましょう。カウンタックLP400が最高速度300km/hを謳ったのは、ライバル、フェラーリのトップモデルだった365GTB/4の280km/hを大きく上まわるとともに、300km/hの大台に乗せたかったからでしょうか。フェラーリ365GT4BB

 しかしこれがフェラーリの反撃を呼ぶことになりました。やはり1973年から発売された、365GTB/4に代わる新たなトップモデル、MRレイアウトを採用した365GT4/BBは、最高出力は380psとカウンタックに一歩先を譲っていましたが、最高速度は302km/hと、わずか2km/hだけ上まわっていました。

 この後、フェラーリはF40で最高速324km/h、エンツォフェラーリで350km/h、さらにラ フェラーリでは最高速度350km/h以上、と謳っていましたがランボルギーニが応戦することもなく、非現実的な戦いは収束してしまいました。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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